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2016年06月05日

基準

アメリカ大統領オバマ氏が広島を訪問。
当初予定していた時間よりも
長いスピーチを行った。
核兵器を使用したことに対して
具体的な謝罪はなかったものの
非常に気持ちのこもったスピーチであったと個人的に感じた。ある種のパフォーマンスと
捉えられがちの被災者達への抱擁も
肯定的に受け取られた。

しかし、僕個人だけでなく
僕らの世代は戦争を知らない世代であり
歴史の勉強も日本近代史は時間の関係上
かなりの部分が省かれており
部分的にしか知らない。
だからこそ、今回の訪問は何を意味するのか?っと考える。
報道を見る限り肯定的にマスコミにも
捉えられ国民へと伝わる。
しかし、先ほど言ったように
今回の劇的な訪問を判断できるだけの
判断基準を持っていない。
インターネットの発達により
情報はあまりあるほど
しかし、どのような基準で
探すかも自分で勉強するしかなく
その基準によっては見方が大きく変わる。

2つの基準が出来る。

未来を見ながら過去を見る、振り返る。
過去を見ながら未来を作る。
僕ら世代は多分前者ではないだろうか?
未来にフォーカスしながら過去をみる。
この観点からでは、未来はアメリカだけでなくアジア各国との関係も密に協力し
相互恩恵の関係性を保ち進んでいく。
この訪問はそのための出発点として見方が
強い。

後者は過去にフォーカスし
過去の償いや行為の有無を
確認したうえで未来を構築していく。
事実認識の強要と償いを強調するため
過去への精算、着地点としての
見方が強い。

戦争や被害に合っていない
世代にとっては、はっきり言えば
他人事である。それは僕も一緒である。
だからこそ、僕達は勉強しなくては
いけないのだろう。




posted by コビータ at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

やらかした

「やらかした!!」

この言葉に尽きる。

毎週金曜日に責任者として研修を行うようになり
約2か月経った。 それぞれが話した内容は
いずれも従業員に必要なポイントであった。
「改善」「態度」「習慣」などそれぞれに
伝えられれば従業員の態度、モラルも変わるだろうっと
思ったもののやはりそこは人間。
その必要性を感じなければ
話した内容は上の空。左から右に抜ける意味のないものへと変貌する。

今回、その点も踏まえたうえで僕が臨んだのだが、
拙い表現力、説明力、語彙不足によって
伝えたい事の半分にも満たない結果となってしまった。
原因は明らかに準備不足であった。

先ずは、今後10年、15年で起きるだろう自動化の波に対し
危機感を持ってもらいたく説明を行った。
これは上司からも伝わらないのでは?と危惧され注意された部分でもあった。
案の定、ここでの反応はイマイチ。
特に金銭的余裕のない従業員であるため
目先の事に集中しお金を得ることしか考えれないため
今後起きることを予測するもしくは考えて対応することは出来ないのが要因である。

しかし、家庭環境も含めそういう要因がある中で
どのように対応すべきなのかと説いたところで
反応が薄いのは当たり前。 
vision とmisionを書いてもらったり
普段、時間をどのように使っているのかを
記入してもらい無駄な時間の使い方をしていないのか
自分の目で確認することを行ったが
やはり、目先にフォーカスがあたっている生活が
垣間見れた。

正直、誰に対し何をどのように伝えるのかという
根本的なところからしっかりと考えなければならなかった。
しかし、誰が参加するのか何人参加するのか
分からなくそういった面も説明不足、下手へと繋がったともいえる。

しかし、書いてもらったアンケートに参加してくれた方々に
自分の意見を書き込んで少しでも役立つものへと
変化できたらなと思っている。 
posted by コビータ at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

とりかご

『鳥かご』

サッカーの練習で行うトレーニングの
ひとつに3対1,4対1のボールを使った
トレーニング。
その様子を連想させたベッキーと
TV関係者との関係性。
鬼となったベッキーは、必死になって
ボールを追っている。
それは、TV関係者が持つ不信感(ボール)を
断ち切ろうと懸命になっている。
イナされ、かわされ、ボールは関係者間を
グルグル回る。 

ベッキーは、一般社会からかけ離れた世界でしか
生きていけないのだろうか?
どっぷりハマって抜け出せないのだろうか? 




posted by コビータ at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

腑におちる

毎週金曜日の仕事後に
各倉庫責任者が持ち回りに
仕事や日常生活に役立つことを
プレゼンテーションすることを
行っている。 主に仕事に関しての
プレゼンテーションが今のところ多いのだが、
ただ、そのプレゼンの際に
僕ら管理者もプレゼンするようにと
彼らから促されやることに。
何を伝えることが彼らのためになる
のかを考えつつ、先日日本に帰国した際
購入した本を手にとってみた。

その中にあった「7つの習慣」を手にとり
読み始めた。 読み進むにつれ
役に立つだろうが、本の中の情報の
どの部分に反応するのだろう?っと考えながら
読む。 しかし、変化をしてもらいたい気持ちはあるが
彼らがその必要性を感じなければ
何も意味がないものへと 
要は、何を彼らにどのように伝えるまえに
必要になるような状態を共通認識させることを
しないいけない。

しかし、読み進めるうちに
とても気になるフレーズに
目が止まる。 
それは、下記のフレーズ

愛(LOVE)は動詞なのです。
愛という気持ちは愛するという行動から
得られる果実であり価値です。


僕みたいな結婚不適合者にも
物凄くストンっと腑に落ちた言葉で
見返りを期待せず、彼女に思いやりをもって
奉仕し理解し助けるなどの行動をすること
から得られる価値が「愛」なんだと。

そんな行動努力を継続的にしてこなく
やっても最初の3か月ぐらいでしかなかった。
やはり、小さな事の思いやりや行動の
積み重ねが男女間の価値となり「愛」という
カタチとなるんだと。
30代終わりにやっと理解する僕は
やはり結婚不適合者なんだろう。
っというのも、その行動の中に
甘い言葉をかけることを外したいという
気持ちがあり、妙にそこに拘っている自分がいるから
特にここメキシコではこの「甘い言葉」が
かなり必要であることを最近知った。(知らざるを得なかった)



posted by コビータ at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

ジャイアント.ババ

突然、銃をアタマと胸に突きつけられたときから試合は始まった。
背後から引き金をいつひかれてもおかしくない状態で不本意であるが強引にもリングへと向かわされた。

銃で威嚇された身体は異常を示しており
今まで様々な相手を強打し威嚇の武器にしてきた右手は異常なまでに膨れあがっていた。
針でちょっと刺した程度で中から色の違った液体が出てくるのではないかと思うほどで
緊張のせいか震えが止まらず手そのものの機能は低下していった。
さらに、温度を感じ取る皮膚感覚は
麻痺し体温を低く感じさせた。

ルパン三世並の太く濃いもみあげの持ち主
緊張が手伝い体重が落ち引き締まった体付きへと変貌した。相手とのがっぷりよつの組み合いにも有利に戦うため反則であるがオイルがたっぷり塗られた出で立ちは往年のジャイアント馬場と似ており長身で筋肉質な身体。


彼のリングネームは、"ジャイアント.ババ"

ジャイアント馬場になぞってつけられたリングネーム。しかし、彼と違っているのは、3つ。

1.パンツが黒や赤だったジャイアント馬場とは違い、白いブリーフに白いステテコ。

2.プロレス団体から提示されたデカく輝いてるベルトではなく、ババ入りのビニール袋が付いたベルト。

3.登場曲が、"燃えよドラゴンズ"

24,5度に設定されたリングに今、上がる。

それをセコンドとして見つめる
小回りと気遣いが非常に利く
気性が激しい短足なオウム。

目に見えない相手にどう戦うか
人生引退をかけた試合
乞うご期待

相手を威嚇するかのように
シャーベットやアイスクリームを
出す機会のようにジワーっと
かつ、プス〜っという音を醸しながら
出てくるババ。 

今、試合開始のゴングが会場に鳴り響く。









posted by コビータ at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

日本を離れ10年という歳月が過ぎようとしている。

10年前の僕は、鬱で悩んでおり病んでいた。
それは、今でももしかしたら変わっていないのかもしれない。
整理のされていない光があまり入らない小さな部屋に
ひとりでいることが唯一の安らぎを感じる瞬間であった。
それからというもの、普段から人見知りであり
遠慮深い性格が人と接することをより遠のかせた。

30歳を前にして将来の事、両親の事で迷い悩み続け
散々ボールを蹴り続けてきた両足は蹴り疲れたように
重く棒と化していた。時代や世間という
大きな流れに沿って沈んだり浮かんだりしながら
意志とは無関係に歩みを進めていこうとする。
流れに反して足に意志を込めて歩もうとすると
ドンドンと深みへハマっていき行き先(出口)が分からなく
なっていった。

答え(出口)の見えない中、すべてを忘れ目を瞑り夢中で大きく
前へ蹴りだした足が向いた先は、メキシコであった。それが10年前。
 
振り返ってみるとあの一歩がなければどうなっていたのだろうか?
と思うと恐怖で鳥肌が立ってしまう。

しかし、一歩進んだ先に見えた世界は、
普段の生活とは大きく異なって映り
次の一歩を踏み出す気持ちや勇気を
圧し潰すかのようにプレッシャーをかけてきた。
「言葉」「習慣」「考え方」「経験のなさ」「コンプレックス」が
自分の周囲を囲み目に見えないプレッシャーをかけ
一歩を踏み出す勇気さえ踏みにじってきた。 

学歴も社会人経験もない自分が追い詰められた結果
唯一とった行動がシガミ付くこと。会社にも、メキシコ社会にも。
崖っぷちにいるような感覚で爪を立てるように
もがきながら這い上がっていくこと。それは、今でも続いている。


やみくもに振り出したあの一歩。

それは、小さな一歩であり
大きな一歩へのほんの小さな一歩でもある。
そこには、自分らしく生きることの大事さや
強く生き抜くことを意味として含んでおり
自分の人生と自分自身を変える可能性を持つ
チカラが存在するもの。

その意味を噛みしめながら、さらにもう一歩
前へと歩みを進めていく今後の10年としていきたい。
posted by コビータ at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

黙祷を

"私たちは、パリで犠牲になった人たちに、30秒黙祷した。
しかし、亡くなったシリア人のために、1秒たりとも黙祷を捧げる人がいただろうか。"

3月29日に2018年ロシアワールドカップ出場をかけて戦うサッカー日本代表。

埼玉スタジアムで行われるその試合の対戦相手は、「シリア」である。

冒頭のコメントは、2015年11月17日 
ファジル・イブラヒム(シリア代表監督)のシンガポール戦の後のコメントである。

的を得るような強烈な言葉である。このコメントから読み取れることは

先進主要国である国だけが称賛や喝采を浴び優遇され、
発展途上国がそのような待遇を得ることはほとんどないこと。
人々にとって世間から忘れられることと同時にマスコミに取り扱ってもらえず
状況を発信することすらできないことが一番の屈辱である。

パリ同時多発テロの数日後にウエンブリースタジアムで行われた
国際親善試合フランス対イングランド戦では、黙とうを行い
被害者や被害者家族に対し弔意を表した。
さらに、UEFA(欧州サッカー連盟)はすべての公式戦において
喪章の付けることと黙とうを行うよう指示した。

しかし、どれだけシリアへの空爆や多数の死傷者が出ているという
ニュースを目の前にしても犠牲者に対し弔意を表すことがなく今日まで来ている(機会がなかった)。

サッカー現日本代表監督のハリルホジッチ氏も「ボスニアヘルツェゴビナ紛争」
に巻き込まれ家族とともに非常に苦しみ抜いた経験を持つものとして
両チームともワールドカップ出場を目指した真剣勝負の場であるものの、
今なお増え続けている(増え続けているだろう)犠牲者に対し「黙祷」を
試合前に行うことを日本サッカー協会に要請してもらいたい。

スタメン選手だけでなくベンチスタートの選手、スタッフ、監督全員が
センターサークルを囲み1分間の「黙祷」を行うことを願い次回の戦いに期待したい。
posted by コビータ at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

評価軸

ショ−ンKについて様々なメディアで報道されている。
非常に興味深いなあっと感じており、その理由が2点ある。
 
 1.メディア側が出演者の経歴を確認していない点。
 2.容姿や経歴が良ければその人が言うことを鵜呑みもしくは聞き入る点。

1に関してメディア側は、出演者を出演依頼する際に
その人の経歴を含むバックグラウンドを考慮して
人を選択しているはず。さらに所属事務所などは
経歴を詳細に調べない。もしくは仕事を取れるように
多少なりとも盛っているのか? 今となっては
そのプロセスも分からない。

公の場に出演する方は、虚偽の発言や行為があった場合は
非常にバッシングの対象となり活動自粛へと追い込まれることが
多い。しかし、虚偽は経歴であり発言や活動行為が虚偽でなかった場合は
どうなるのだろうか?
今回、彼は活動を自粛することを決断した模様だが
そのように偽りの姿を継続して演じさせてきたのは
実は、私たち視聴者ではないだろうか?
 
2に関して僕たちの評価軸が容姿や経歴であって
彼のコメンテーターとしての発言は
そこには含まれていなかったんだと。
様々なメディアで後出しで彼について"実は怪しいと思っていた"
"あんまり発言しない"とかコメントされる方がいるけど
人それぞれ大なり小なりで良くみられようと偽証することは
芸能の世界では当たり前であろう。
 それは、俳優、藤原竜也が「サッカーの選抜に入っていた」という
偽証を自白したように今このタイミングで謝罪すれば被害は小さく済むと
思い自白した模様。非常にリスク管理が出来ていると言える一方で
汚いやり方やなあっと感じる。
 結果として、テレビに出演する、仕事を貰うために
利用した経歴偽証は手段としては間違っているものの
何を大事にし何を伝えるのかという評価軸を持っていれば
経歴がどうであれ問題ないように感じるが
そこに説得力が増すかどうかはその人の人となりが
重要になってくるはず。


政治家や公務員のような方がトンチンカンなことを
発言し国民に不利益を与えても謝罪さえすれば
継続して仕事を出来る社会であるのに対し
彼のような方は活動自粛と追い込まれる。
弱肉強食の世界である。 
そして、僕たち一般人は何を見て何を評価軸にして
判断するのか問われているように思える。
政治家や公務員は僕たちが支払った税金で生活を
成り立たせている。その一方で彼らが発言するトンチンカンな
事で不愉快を被ることがある。(それは高学歴であれ経験ある方であれ)

今回の偽証自体は良くはないが
評価軸をどこのポイントに置いて
見るかもう一度考えてもらいたい。




posted by コビータ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

あの時から

震災から5年が経った今、被災した方々を
フォーカスした番組が放送されたりしている。
しかし、それはある断面でしかなく
本音の部分は良くも悪くも見えづらく
継続的にドキュメンタリーしているのは
ほんの僅かであろう。

僕が足を運んだ女川町は、他の地域と比較しても
復興が進んでいるらしく震災から3年経った時に
足を運んだ際、既に更地へと変貌しており
ダンプカーが土砂を砂ホコリを撒き散らしながら
運んでいたのを思い出す。

偶然、数名の被災者の方と話す機会があり
「震災から3年経ちますけど、どうですか?」
っと尋ねたところ、思いがけない言葉が帰ってきた。
「被災した地域によって復興速度の違いがあること、
完成した住宅にどの家族が優先的に入居できるのか
被災した方々の中にも格差が出てくるだろう」
この言葉は、非常に鮮明に覚えていることである。
目に見えない不安や不満が、今後目に見える形で
表れてくることを示唆しており
あれから2年が経つ今、街は良くも悪くも変貌して
いくが彼らの内面はどのように変化しているのか
非常に興味がある。

このようなことをフェイスブックに掲載したところ
女川出身の写真家、鈴木真弓さんから
「女川は街の復興を優先的に進めており
人口流出を防ぐため魅力的な街作りを
目指して活動している」とコメントがあった。

それと同時に人々の心の変化はどうなっているのか
興味がある。 彼女のように継続的に彼らの生活ぶりを
追っている方はどれぐらいいるのだろう?

posted by コビータ at 04:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

それは突然に

それは、突然やってくるのだと

僕たちは、生まれてから「死」に向かって
人生を歩いている事を改めて思い知らされた。
僕にとっては、馴染みの薄い言葉「ガン」(誰にとっても馴染みの薄い言葉であってほしい)
を耳にしてしまった。 
「転移性腫瘍」と「肺ガン」との併発
そして放射線治療。
ドラマや映画などで耳にしたり目にしたりしたけど
まさか、それが自分の父親から発見されるとは?

年齢的にも生活習慣的にも病気になるリスクがあると
分かっていたものの まさか、「ガン」という重く体にズシリと
響く言葉を聞かされるとドン底へ突き落される感覚に陥る。




posted by コビータ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする