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2017年02月07日

どうかな?

新たな生活を始めた。


メキシコの中央高原バヒオ地区にある
小さな都市セラヤにて新しい生活を
し始めた。 しかし、一番最初にこの場所に
降り立ったあとに感じた不安は未だ
拭えない。 
住めば都という言葉があるものの
この町を好きになるかと言ったら
ならないだろうとハッキリと言える。

まだ、たった1週間しか
住んではいないものの 
ふと、なぜここに自分はいるんだろうっと
考えることはある。

写真を撮りに行くにも
行きにくいのが正直なところ

そんなときに新たな仕事のオファーを
頂く。前向きに検討してもらえると
有難いと言葉を貰う。


さあ、どうするか
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2017年01月31日

終止符

2016年7月末に以前勤めていた会社を辞め
すぐに転職せず、今だからこそできる事を
と思い旅行へ出かけた。

しかし、それも時間が経てば
もとの環境へと戻らないといけない時期が来る。
主な理由は金銭的な面で戻らざるを得ない。

そして、選択した道は再びメキシコ。

再び歩き始める。 確実に ふたりで




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2017年01月28日

うまいことやってちょ


[涙は枯れぬが命は枯れる]

オトン!! オトン!!と
何回も何回も呼んだのは
これが初めてだろう。 
手垢が出るぐらい擦っても
なかなか温まらない冷たい身体。

ほんの1ヶ月前に見せた
両家での食事会が
最後の勇姿になるとは
流石にその時は思わなかった。
結果的に途中で退席したが
その宴の中心はオトンだった。
自分が開いた宴のように
無礼講でガンガン話す姿に
聞いているこちら側は
ヒヤヒヤした覚えがあったものの
かえってそれが
笑いを誘い楽しく食事が出来た
のを覚えている。


[うまくやってちょ!]っていう名古屋弁
を最後の言葉として僕らに残した。


口癖のように何度も何度も発していたこの言葉。
その言葉の先に僕らの生活を心配する優しさを
感じた。 

ありがとう おとん。
posted by コビータ at 04:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

笑顔

[死]というものに誰もが直面する。
それは、若かろうが年老いていようが
皆、人生の何処かで直面するもの。

残された家族、子供は、その後どのように
それを受け入れ、消化し一歩踏み出して
いくのだろうか??

余命何ヶ月という響きは
ドラマでのワンシーンでしか
聞いた事がなかったが
実際に、それを耳にしたり
目にしたりすると
受け入れられない自分が
当然のようにいる。

場を仕切って軽快なトークで
場を盛り上げ周りを
笑顔にさせたあの達者な口には
今では酸素マスクが覆い
息苦しそうにしている。

ちょっと散歩してくると
言って出ていった先が
パチンコ店。
微妙に震える手のお陰か
勝って帰って来た時の
調子の良い顔は
今では耐え忍んで
苦痛を表している。

もう一度、一瞬だけでも
良い。あの調子の良かった時の
顔をみせてくれ。





posted by コビータ at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

眼鏡


もう、だいぶ前から視力が落ちてきていると
感じていた。
自業自得でもあるけどね。
せっかく大金をはたいて行ったレーシック手術
当初は凄く見えていたけど
少し落ちたかな?って疑問を感じ(見えていないときに比べたら全然見えるけど)
再度検査したのち再手術。

あれから3、4年経った今 
パソコンの前での作業が多くなっていたのにも
拘わらず何も措置することなく
引き続き作業を行っていたこと、さらに
週末はネットで動画鑑賞などを繰り返していたため
ドンドン悪くなっていってしまった。

また、眼鏡に逆戻りとなると
勿体ないなあって思うけど
今後の新しいスタートを切る人生を
明るく見える眼鏡なら大歓迎やな。
喜んでつけさせてもらうわ。






posted by コビータ at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

サイン


「もう長くないかもしれない」

頭と心が全然バラバラな状態に。

アニキから届いたメールにあった
冒頭の言葉を見て色んな思いが
込み上げてきて涙が止まらなくなってしまった。

「子供の頃の思い出からつい最近の事まで」
頭の中の奥深い場所に記憶として残っているんだと
痛感した。 

親孝行ってどういう事を言うんだろう?
今まで好き勝手にやってきて親の脛をかじりながら
生活していた僕は、親孝行っていう行動を取ってきたのだろうか
過去は変えれないけど、残りわずかの時間を
一緒に過ごすことが僕が示せる親孝行なのかな?

ただ、忘れられない言葉を投げかけられたのを今でも
覚えてる。 その事が一番望んでいた?いる?のだろう

「俺は孫が見れないのか?」

親のために子供を作ることはないにしろ
それが出来たら幸いなんだろうなっと

今から出来る僕と父との「幸せのカタチ」を模索
していきたい。 それが今できることなんだろう。




posted by コビータ at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月11日

アパート

滞在時間1時間
バスでの往復の移動時間8時間。

新たな新居を見つけるために
会社から得ていた情報を基に
セラヤへ行き、部屋の下見と
条件を確認し手続きを行った。

希望の一軒家は、次回というかたちに
して今回はアパートに住むことに
落ち着いたら、一軒家を探すつもり。
ただ、やっぱり誰も知っているひとが
いないと感じるとココに住むことに
非常にモチベーションが下がるね。

posted by コビータ at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

プロポーズ


「101回目のプロポーズ」

浅野温子さんと武田鉄矢さんが出演していた
90年代のドラマ。 
名ゼリフ、「僕は死にましぇん!あなたが好きだから!」

ふつうプロポーズって1回でしょ?
どれぐらいの期間で101回もプロポーズしたのか
知らないけど
僕も既に3回プロポーズしてます。まあ、内容は恥ずかしくて
言えないし書けないけど 3/101。
何年もかけて愛情表現として言い続けていくかも
目指せ101回。
posted by コビータ at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

この先


「答えを見つける」のではなく「答えを創っていく」。
これが、僕が今思っている事。

驚きと心配とを両方同時に友人や会う方々に与えてしまい
それに対する反応に僕らは思った以上に敏感になり始めて
きている。  
経済面、環境面、安全面において日本での生活が良いと
分かっているにもかかわらず
10年もの間メキシコでの生活に慣れてしまい
日本での生活がイメージ出来ないなどと
もっともらしい理由をつけ再チャレンジする気持ちになれず
僕個人のワガママによって生活基盤を
メキシコに移す事にしようとしている今、

どのように捉えるかによってその先が変わるだろう。

メキシコにいる僕と日本にいる彼女であるが
家族となった以上お互いに近くに居ることがベストであることは
認識している。
ベストの判断は一緒にメキシコに行くべきであった。
ベターな判断は数か月後に来て一緒に生活し始める事。
僕たちが選択している事はベストでもベターでもない
それ以下である事は間違いない。

しかし、ワガママを通したカタチでメキシコに来た事で
彼女に大きな負担をかけてしまっているなと少なからず感じている今
彼女のやりたい事を納得のいくまでやらしてあげれる
自分でありたいと。



posted by コビータ at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

レベル



「人生は選択の連続である。」

現地住民の生活や民族の暮らしに
フォーカスした旅を行って
自分を囲む環境を改めて
見渡してみると
色んな場所でエネルギーが消化されており
それに対して何か特別な感情や思いを持たずに
普段生活を送っている。
光が煌々と照らされつづけるコンビニ、
ネオンが夜を包み深夜営業、
24時間営業の看板が立ちならぶ社会に身を置く。

高いレベルに設定された
「シアワセ」や「ベンリ」を
求めているのように
または、求めなきゃいけない
環境にいるのかのように感じる。

低いレベルに設定された
「シアワセ」や「ベンリ」では
満足できないのだろうか?
周りを気にして、流れに合わせ
高いレベルのものを追い求めて
しまっているのか?

「レベルを下げる」
「追い求めすぎない」

という選択をしても良いのではないか?

「ベンリ」という中に心に染み渡るシアワセが
隠されているのか? 
また、人々が求める高く、もしくは低く設定された
「シアワセ」は必ずしも「ベンリ」が必要なのか?

シーナアイエンガー氏の
冒頭の言葉のように
選択することが人生であり
生活の質を決める。




posted by コビータ at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする