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2015年12月07日

何処へ

ふと「旅ノート」について思い出した。

約11年前に中米から南米を旅した際
分からない土地を歩き、不安を抱えながら
次の街へと足を進めていたときに
行った先々で先ず探したのが「日本人宿」
幸いながら、旅に出る前にある程度どの場所に
日本人宿があるかなどは教えてもらっていた
のだが、それでも実際に場所を聞きながら
知らない土地に降り歩き始めると
言葉を理解していた当時の自分でも
否応なく不安がこみ上げてきたのを
思い出す。特にバスなどに乗って
夜に目的地に到着した際は
それは相当な不安がこみ上げ、
歩みが早くなったのも思い出す。

たどり着いた先々の日本人宿に当時あった
大学ノートに先人(旅人)の貴重な旅の体験談を
含む様々な場所へと行き方や注意事項が
詳細に書かれていた「ノート」。
あの「ノート」がなければ気にならなかったことや
場所が多々あったことを
今になっても思い出す。 
旅人が行った時期、ルート、どこに泊まったかなど
ホテルの質、盗難の有無、地図など
本当に11年前の情報としては、手書きで
見にくいものもあったと思うが
非常にクオリティーが高いと今でも感じる。
そこには、旅人ならではの想いが
そこに記せられているからである。
というのも、旅していると良い体験だけでなく
もしかしたら悪い体験の方が多いかもしれない。
そんな自分が体験した嫌な想いを
次、同じように旅人が苦い想いをしないように
との思いで書き示してあるからである。

ただ、あれから11年が経ちインターネットが
普及し簡単に情報が入る中、
「旅ノート」以上に詳細に記した情報が得られるのか?
検索しても大体得られる情報は、決まって一部分であり
旅に行った感想が書かれた各個人のブログに行き着く。
そこに書かれているのは
旅をする上で得たい情報(危険度、ホテル情報、詳細な地図など)
がほぼ皆無である。

特に「旅ノート」に書かれていたウユニ塩湖での注意事項
「絶対に決められた場所で用を足すこと。」
綺麗な風景を観れることもあり
開放的になり塩のホテルの外で用を足すひとがいる
でも、旅のマナーとしてそれは景観を汚す行為であるため
絶対に行ってはいけないこと。

しかし、今はインターネットの普及とSNSによるウユニの写真の
蔓延で旅行者が急激に増えているため
非常にゴミなどが増えており現地でも問題になっていると
報道がある。
http://news.livedoor.com/article/detail/10919167/

同じようにマチュピチュも観光客増加による
遺跡の破損が相次いでおり
僕が旅したときでも数年後には
入場規制を敷くもしくは
封鎖をするだろうと言われていた。
今は、どうなのだろう?

「旅ノート」には、旅人が体験した様々なことを
記帳するツールであったが、それと同時に
次の旅人への想いを語る広場であり
旅の仕方、旅のマナーを教えてくれる
教材でもあったと思う。

だからこそ、もう一度先人の知恵や経験が詰まった「旅ノート」を
手にしその当時感じた想いをもう一度味わいたいなと




posted by コビータ at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

異常動物

知名度のある地位の高い方が
ツイッターで発した言葉が
マスコミに叩かれ始め
SNS上で賑わっている。

「同性愛者は異常動物である」
古い価値観で彼らを見れば
そのような意見がでることは
容易に理解できる。
しかし、現在は差別発言、行動は
非常に厳しく取り締めが起きているなかでの
出来事で、全く自分の立場や地位を
理解せず発言するあたり
ほんとにOld Fashionである。
さらに言えば、SNSの使い方と
その影響すら理解していないふちがある。
なぜ?このような事をツイッターで
述べるのか? ちょうど同じ時期に
ガンバ大阪の外国人選手に対しての
黒人差別発言があってニュースでも
話題になっており、皆その発言者の
なりを見つけ出そうと躍起になっている
最中に もうアホとしかいえないほど
惨めにしか思えない。

百歩譲って「異常動物である」って思っていても
表立って言う事でもないやろ
そういう人が上の立場にいること自体
もう地方政治も終わりに近づいてきている。
推測だが、このような考えを持った方が
多々いるはず。古い価値観の持ち主たちが。

「同性愛者は異常動物である」のであれば
メキシコでは異常動物だらけになるやん。
異常動物同士の結婚は正常という意味になるのだろうか?

posted by コビータ at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

気になる

テロが欧州だけでなく、世界へと
広がりつつあり恐怖が感じられるように
なってきたのではないか?
今まで、対岸で起きていた事件が
身近に感じられるようになり
他人事から自分事へと移行して
きている。
しかしながら、日本はというと
未だ他人事のように感じているだろうと
推測する。やはりそこには、島国であり
国境という概念がないことが、情報を
身近なものから遠ざけさせているように
感じる。

フランス、パリ同時多発テロの前後に
様々な国や地域で同様な無差別テロが
起きているのにも拘らず、フランスだけに
偏った報道がされる時に 多くの方々が
フェイスブック上にフランス国旗トリコロールを
プロフィール欄に載せてしまっている。
右に倣えで一斉にである。
その前後で背後で何が起きているかも
知らないでである。 

偏った報道によって偏った知識を
植え付けられてるとも知らずに。
普段から考えていないと
流れに乗せられてしまい
偏った見方、考えかたへと
なってしまう。

これを平和ボケというのか
分からないが 危機感がないのは
いかがなもの?
posted by コビータ at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

基準

報道基準に疑問を感じてしまった。

というのも、無差別殺人であるテロが
フランス、パリで起きた。
死者が100名を超えると報道され
更に被害者の数が増加するだろうと
言われている。

今回の報道を通じ、フェイスブックの
プロフィール欄に哀悼の意と平和への祈り
を込めてフランス国旗のトリコロールを
付ける機能が世界中を駆ける。

しかしである、「なぜ?フランスだけ?」報道として取り上げられるのか理解出来ず冒頭に述べた事を
を感じたのがブログを書く発端となった。

マスコミも視聴率や購買部数を意識した報道を
余儀なくなっているのは非常に理解できるものの
フランス、いわゆる先進国に部類されている国で
起きた事件だから報道されるのではないかと
仮定してみるとすんなりと頭に入ってくる。

仮定:
報道基準=犯罪の種類、方法✕国、地域✕被害の規模

フランス、パリで起きたテロと同時期には
レバノン、ケニアでも無差別殺人やテロが
起きている。
しかし、報道はあまりされていない
そこに、先進国優先の報道姿勢が
各メディアで見受けられる。

もし、今回の自爆テロが途上国で
起きたのなら、フェイスブックなどを
巻き込み今回のように世界中へと
広まるのか? 

答えは、No!である。

それは、実際にフランス、パリのテロ事件
の2日前にレバノンにてテロ行為が起き
多数の方が亡くなっている。
ケニアのとある学校に複数人忍び込み
銃を乱射し多数の犠牲者が出ている。

そのことを踏まえると
先進国優先、途上国は後回し。
あたかも途上国についての
報道は価値がないと言っているようなもの。

報道されることによって助かることもあるが
報道されないことは虚しさと焦燥感を
感じることになるだろう。


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2015年11月08日

好奇心

「好奇心がなければ、ただのジジい」BY田原総一朗。

80歳を過ぎ未だ現役ジャーナリストとして活躍されている彼は
自分を表現した際に冒頭の言葉を発したのを耳にした。
年齢を重ねるに従って考えや行動はより狭まっていくのが常。
しかし、そんな自然な流れに逆らうように今なお好奇心を持ち続き
走っている彼の姿や言動は非常に興味があり
今後の行動にも注目していきたい。

posted by コビータ at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

魅了

人を取り込み、魅了させ、入り込ます術は何だろう?っと
考えたきっかけがラグビー日本代表の選手たちの姿勢や
情熱さらに言えば意外性もあり見事に世間一般の方は
南アフリカ戦での彼らの闘いぶりに魅了されたはず。

スポーツには、エンターテインメント性が少なからず
含まれ観客を虜にする。その一端を垣間見れた瞬間だった。



スポットを浴びるスポーツもあれば、オリンピックや世界選手権、ワールドカップで
好成績を上げて世間にその存在自体を知ってもらうスポーツもあり
それは、様々である。 しかし、サッカー日本代表をみていると
非常に虚しさを感じずにはいられない。 今現在、多数の日本人選手が
海外でプレーしているものの日本代表として試合に出て活躍している選手は
一握り。常に低パフォーマンスでレベルも低く相手が格下であっても
見ている観客が呆れてしまうぐらい結果がついてこない。

このラグビーとサッカーの違いはなんだろう?と考えたときに
重要な単語が2つある それは「情熱」、「伝える」である。
これは、観戦者や受け手側の感情を刺激するか試合内容かどうかの違い以上に
選手の視線や必死さからくる温度が熱いと感じれば感じるほど
受けてはそれに魅了され没頭してしまうのではないか?
先日行われた国際親善試合日本対イラン戦では、親善試合とはいえ
アウェーで戦っており貴重な試合となるはずだった。が、
内容は低調で必死さをTVから感じることはなかった。 根性論ではないが
個人的に一番覚えているゴールシーンは、94年ワールドカップアジア最終予選の
イラン戦の中山選手のゴール。 必死さが伝わるプレー。



このワールドカップに出場しサッカーの知名度、認知度を高めようという
プレー以外の部分の想いが詰まった行動に人の心を動かすチカラがあった。
さらに言えば、それが人に伝染していきポジティブに働いていく。

戦うから闘うというものに変化していく中で観客はそれに
魅了されていくのではないかと感じる。
戦うと闘うの違いは、必死さ、泥臭さ、想いの有無、温度差であり
今現在、ラグビー日本代表は果敢に闘い、次回ワールドカップを日本開催するにあたって
開催するに相応しいチームでありたいという想いも含まれ
結果としてファンを魅了する意外性を試合で出した。
それと比較するとサッカー日本代表は、ただ戦っているだけ。
そこからは何も伝わってこない。
人を魅了するには、必死さを出していかないと
今後は、いくらホームでの試合があったとしても
観客数は激減していくだろう。 

 


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2015年10月10日

連想

言葉から得るイメ−ジを可視化する能力が
ないのか、減退しているのか?

正直、将来のことについて見えないなか
一歩一歩踏み出していかないといけないなか
実際に目に見える形になるまで
待ってから行動するというのは
このグロ−バル化が進む中で
非常に遅いと思われる。
だからこそ、言葉を聞きながらそこから
連想する将来像を描き、それに基づいて
行動していくことが
非常に大事ではないかなっと。
いわゆる未来予測というのか
例えば、大阪都構想とかね。橋下市長の説明不足は否めないものの
その言葉からどれぐらい将来像を連想できるのか
その連想力というのか立案力、想像力というのか
住民に試されているのではないかなあっと
個人的に思う。 

しかし、一方で連想力や想像力は経済に影響されるのかもしれない。
経済的に余裕のない方々には連想することよりも
現実に向き合わざる負えない。 そのため、いくら政策などが良くても
経済的に負担が増してしまうような事が起きてしまうと拒否反応を起こしてしまう。

連想力x行動力 =将来 
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2015年10月04日

アイドル_?



アイドルがファンとの交際が発覚し所属事務所から賠償請求を受ける。
先ず、何をもってアイドルと名乗るのかがはっきりと定義出来ないし
事務所やメディアから押し付けられた名称なのかイマイチはっきりしないのが
個人的な印象である。
僕自身、アイドルと言えばと聞かれたら、年代もあるが
80年代から90年代に活躍した中森明菜、工藤静香、WINK、浅香唯とかを挙げる。
ファンを通り越して親衛隊なるものまで出来ていたのも思い出す。
しかし、なぜ彼女らをアイドルとして認識しているのかと
問われれば分からない。
おそらく、若くて可愛らしく未成熟でありつつも頑張っている姿に
自分もあのようになりたいという願望とマッチしたことから
「憧れ」という感情を抱き、さらに親しみやすい
キャラクタ−、口調言動にも愛着をもつことによって
独自のアイドル観を形成していったのだろう。
だからこそ、アイドルに抱く思いはハンパなものではないはず。
自分の気持ちを反映し代弁してくれる存在へ変貌していくなかで
同時に自分のものから皆のものへと変貌していったのだろう。

だからこそ、ファンの応援や心理的愛着を得て初めて
「アイドル」として認識されるものであって
所属事務所やメディアによって押し付けられ形成された
「商品」としてのアイドルは非常に受け入れ難いのが個人の意見である。
アイドルグル−プ「xxx」って枕言葉になって
発信するのはもう時代遅れではないかとまで感じる。







posted by コビータ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

数。

数の持つ意味について考える。

あまりにも数字だけが先走りし
それに意味を上乗せする解説者や批評家たち。
そして、それを正当化しようとしている感じる。
数字を扱う者のモラルが非常に低下していると
感じるのは昨今非常に目立つ。
それは、東芝不適切会計、難民受け入れ問題などの
ニュースでわかると思う。

社会人になってからは、提出するものは
必ず、何かしら具体的な数字を入れろを
教わったが、それでも、数字をコントロールするのは
作成者であってそれが適した数であるかは
非常に判別が難しいことが多くさらに言えば
見逃してしまいがち。

数字=嘘をつかない
数字を扱う者=嘘をつく。もしくは自分の論理に適したように利用する。

巷で話題になった「数の論理」とか
難民受け入れ人数の発表に
受け入れ人数の多さ少なさを論じるのような報道など
数字に意味合いを上乗せし
その数字に意味のない正当性を増す報道に
正直嫌気をさす。
理由として、双方とも数を競いあっているのではないうえ
意味もなくその数字に正当性があるかのように
示すからである。


posted by コビータ at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

スカウタ−募集

「スカウタ−募集」

しょうもないプレ−しかできない選手が集まる日本球界。
そのつまらなさから国民からもそっぽを向かれる。
万年ベンチに座り、状況を見ては野次を飛ばし
仲間にエ−ルを送る術を身に付け解雇されずに
重宝されている。
そのため、球界ル−ルによる戦力外通告は4年ごとと決められていることもあり非常に球界の新陳代謝は図れていない。
また、スカウティングできる方がいないのが原因で
注目できる強力選手を獲得できず、
それが、さらに国民に球界に対する興味を失わさせている。

苦肉の策で新陳代謝を図るためトライアウトを導入するも
甘い査定を下され、多くのポンコツ選手が再度球界に再登板。

さらにドラフトにかかる素材がいないのが難点。
ポッと出の素材には厳しい野次が飛ぶ。
マイナンバ−610つけた新人選手は、暴言を吐き
所属先がない状態に。 

そんな中、旧態依然の球界に新しくSEALD´Sという名の
球団を作り編入しようとするが、その前に球界の壁が大きく立ち広がる。

球場は閑古鳥の鳴き声が聞こえるほど少ない。
しかし、球界のドンが大鉈を奮う。
球界のタブ−を破る挑戦に出た。
もともと海外遠征を禁止してきたル−ルだったが
ル−ル上の解釈を変え選抜チ−ムを編成し海外遠征へ
行けるようにした。これにより敵地にて外国人チ−ム
と戦うことを可能にした。

いまのところ、海外遠征もしくは親交の深いアメリカ選抜の
応援遠征するという発表はないが
海外から、特にスコアを改ざんするのが得意な中国選抜、
何かとクレ−ムを付ける韓国選抜、
そしてテポドンという長距離バッタ−を擁する北朝鮮選抜
から対戦希望が届いている。

これから、球界を盛り上げつつも
厳しい目を持ったスカウタ−が必要となる。
それが、自分たちである。
posted by コビータ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

ドローンと報道

緊急時のドローンの利用と報道ヘリの利用について
ルールと規制を定めたほうが良いと考える。

昨今、ドローンを利用した危険な行動によって
航空ルールが定められたが、使う場所と利用目的の
適材適所を検討し再度ルール見直しをしてもらいたい。

というのも、先週起きた鬼怒川決壊による被害を
報道各社が必死になりヘリからの生中継を含め
情報を流した。 
しかし、上空には自衛隊ヘリがありそのさらに上空に
報道各社のヘリが飛んでいたという。 
自衛隊ヘリにとっては、非常に救出作業の邪魔で
接触という危険にも晒される。救出どころではなくなって
しまい本末転倒である。 
さらに言えば、一回ヘリ飛ばすのにいくらかかるのか
知らないが相当な金額が動くはずである。
情報や画像を得るのに報道各社がしのぎを削るのではなく
共有という形で情報を得ることができないのかと考える。
救命第一であり、報道はその次である。
報道が救命を邪魔しているとなっては全く意味がない。
しかし、ここでドローンを活用できないかと考える。
コスト面、安全面を含めさらなる改善は必要であることは
承知するが救命第一に考えば非常に有効な手段である。
さらに、取り残されている被害者たちに言葉をかけれる
ような双方向コミュニケーションができるようになれば
勇気つけれることも可能であり、緊急災害用の一つのツールとして
利用できるのではないか?

だからこそ、適材適所を考慮したうえで
再度航空ルールを見直してほしい。

posted by コビータ at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

危惧する。

シリア難民受け入れでヨーロッパで足並みが揃わないなか
ヨーロッパを牽引するドイツのメルケル首相の判断に
国際社会が大きく反応した。
難民を年間50万人の受け入れを表明したこともあり
多くの難民がドイツを目指すようになり
EU内にて分割してヨーロッパへ振り分ける案が出ているが
非常に難しい問題となってきている。
ドイツが受け入れを表明したのもつかの間、
ハンガリーやオーストリア国境を通じて流入する難民に対して
受け入れ移設の限界に達したことにより入国制限を行うという。
それに伴いハンガリーやオーストリアに一時的に滞在することなり
双方にとっても頭の痛い対応となる。

時期尚早と言えるのだが、一番危惧するのは
イスラム教の分布範囲の広範囲化に伴う軋轢と差別。
この難民受け入れについて、当初は入国審査をせず
受け入れていたため、どのような宗教価値、宗教モラルを持った方かは
分からない。いわゆる過激派なのか穏健派なのか、シーア派なのかスンニ派なのか
同じ施設に両派が入り混じる形となることで何か起こるのではないかと危惧してしまう。
それが、今すぐに何かが起こるということではなく今後5年、10年というスパンで
住む場所がシーア派とスンニ派に分かれお互いがお互いを
理解できない構図へと変貌するのではないか? それに伴い現地に住む住民との
衝突や差別が広がっていくのではないかと個人的に心配する。

どういう結果となろうと歴史的に大きな転換期に来ているはずである
先のギリシャ問題によるEUの金融問題、そしてこの難民受け入れによる政治的問題で
EUは分断する可能性を秘めており、爆弾を抱えた形となったのではないか
難しい舵取りを強いられたことは言うまでもない。 


posted by コビータ at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

あくまで


「写真」「日本の土壌」「言葉」の3点から
今回の世論が動いた、動いている難民問題について
考えてみたい。

僕には大事にしている言葉がある。
普段から常にそれを意識しているかと言えば
それは嘘になる。しかし、要所要所ではその言葉を復唱し
意識して自分に問いかけることがある。
これは、様々な媒体で言われている言葉であり
有名な経営者が語った言葉であったりもする。そのため
決して難しい言葉ではなく誰かが日常から既に行っていることでもある。
「神は細部に宿る」BY元日本代表監督、現FC今治オーナー岡田武史氏が語った言葉
さらに、フォトジャーナリスム雑誌DAYSJAPANの表紙に小さく載っている
「たった一枚の写真が国家を動かすことがある」

特にこの言葉「たった一枚」「細部」っていう普段あまり気にしない
部分に目を向けることがその後多大な影響を個人としても社会にしても
与える可能性がある。それは、ほんと些細な事でもあり重要な事でもある。

シリアから逃れようとギリシャに向けて出発した20人乗りのボートが
強い波に遭い転覆しギリシャ沿岸に打ち付けられる亡くなった子供のたった一枚の写真が
SNSを通じ拡散し多いに影響を与えた、そして与えている。
今まで難民受け入れに難色を示し批判的であった先進国
特にヨーロッパに受け入れを認めさせるある一定の光が差し込み、
ヨーロッパ各国にその判断の是非を問い質す結果となるだろう。

http://jp.wsj.com/articles/SB12096842380967064583604581211692551093796

難民移民受け入れを国際社会から求められている日本では
今回の件についてどのように報道されているのか理解できないが
それでも現在難民受け入れを求めて滞在している外国人の方が
多数いるのは事実である。しかしながら、それについて報道されることは
あまりなく僕を含む大方の日本人は知らないはず。
国際社会からのプレッシャーを含め国際貢献という名のもとに
難民を含む移民受け入れに政府が舵をとるのか疑問に思う。
というのも、今後の日本は人口減少が著しく進むことが
分かっておりそれに伴い労働人口減少により生産性を維持、向上できないと
随分前から言われている。そのため、労働人口を増やすには
移民を受け入れ生産性維持、向上のために不足分をそれに充てなければいけない時期が
すぐそこにやってきている。しかしながら、その事については政府の動きは緩慢である
言わざるをえない。 

そもそも、移民を受け入れるだけの土壌がないこと
さらに単一民族でいたい事が理由として挙がるのではないかと
推測する。 
もともと島国であり鎖国も行ったりと異文化受け入れを積極的に取り入れてきたかと
言われれば答えはNOではないか(一部受け入れあり)

もっと言えば、それは「言葉」に凝縮されているのではないか?
普段何気なく僕たちは外国人のことを略して「外人」と言う。そとのひとがあるのであれば
「内人」うちのひともあってもおかしくはないだろう。
しかし、そのような言葉は実際にはない、もしくはないだろう。
普段気にしないが意外とグレーゾーン好きな日本人であるものの
内と外とに線を引き、2極化し「内人」は良い、好ましい
「外人」、略しであるがよそ者としての差別的とまでは言えないものの
差異がある発言に捉えることもできる。さらに戦争に負け数十年間もの間
アメリカに占領されてきたことから外国人=外人(よそもの)=独裁者
みたいな悪いイメージ、劣等感を感じる構図が無意識のうちに刷り込まれているのかもしれない。 

さらに「難民」という言葉は非常にマイナスイメージを備えており
言葉の如く扱いかいが難しい人達の集団ではないかと「言葉」から
判断してしまう。 日本人にとって「外人」であり「難民」である方を
国際社会への貢献という名のもとに人口減少問題と重ねても
英語ができないとか外国語ができないレッテルを持っている日本人にとって
無意識に彼らへの接触を拒みそのような土壌が育まれている中
彼らが本当に住めるのか?

本音では、受「難民」受け入れ難い民であり、無「難民」問題を起こさない民であって
欲しいと願っている。上記に述べた土壌の中で彼らは日本人にとって
有「難民」有難い民となっていけるのか心配である。 
posted by コビータ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

ボイス

最近、携帯がスマホになってからというもの
ラジオを聴くようになった。それは、会社同僚が
朝、ラジオを聴きながら会社に向かっているということを
本人から聞いて特に時事問題にそのラジオのおかげか?
凄く精通するようになってきたのが主な理由である。

僕も同様に時事問題を扱うラジオということで
GOOGLEPLAYからアプリを探して目に付いたのが
「ザボイスそこまで言うか」というアプリ。
http://www.1242.com/program/voice/

コメンテーターが日替わりでその日にあったことを
議論したりする番組である。番組に興味をもったのは
そのコメンテーターたちである。
月曜日は勝谷誠彦氏、火曜日は宮崎哲弥氏、水曜日は有本香氏そして木曜日は青山繁晴氏。
ぶっちゃけ一癖も二癖もあるコメンテーター、評論家であるが
「はっきりとものを言う」ことが非常に好感を覚える。
評論家だけにそれが出来ないのは仕事を無くすことを意味することで
当たり前のように思うかもしれない。しかし、それには非常にリスクが
取り巻いているはずである。特に有名になればなるほど
その発言には非常に重みを増すことから様々な方面からの
批判、暴言をも受けるはずである。 さらに言えばSNSが発達しているこのご時世
伝達は非常に早く進みあっという間に批判は大挙となして攻めてくる。
そんな中、番組を聞いている方はわかると思うが
経験、知識、人脈から得られる情報を「はっきり」とあと惜しげもなく言ってしまう
彼らの姿勢には圧倒される。 

現在、安保法案の是非について番組でも取り上げられるのだが
詳細を知らされていない点が非常に目立つ。その理由として
集団的自衛権の行使の是非が問われ、そこにフォーカスされ
安全保障法案という大きな枠組みの中身の内容がさっぱり
報道されなくこちら側に情報が入ってこない。
集団的自衛権が大きなメインテーマになるだろうが
そこに目を向けている以上、その裏で本来さらに議論しなくては
行けないポイントがあるだろうが なぜそこにフォーカスしないのか
非常に理解できない。
さらにメディアによって出来上がった構図と議会での討論によって
安全保障法案=集団自衛権の是非=戦争へ導く可能性有=戦争法案と
構図を作ってしまったのではないかと考える。

安全保障法案に対して日に日に反対デモ勢力が大きくなっているように
思える。 しかし、先日の放送で安倍首相が直接番組に参加して
コメントしたことや民主党長島衆議院議員のコメントしたことが
しっくりとする。 それは、現実問題として
日本の常識、世界的、国際的な常識から理解できない国が
日本の周りを取り巻いており「チカラによる現状変更と脅威」を行っている
今、チカラによる抑止力は必要になってきているはずである。
集団的自衛権の賛否より、日本を取り巻く国際社会の状況を考えてみると
賛成反対ではなく必要か不必要かの判断基準で物事を進めていかなければならない。
集団的自衛権の是非はあとにしても、安全保障については
真剣に議論して国会で承認を得ていかないと非常に厳しい立場に追い込まれてしまう。
だからこそ、集団的自衛権を別枠で議論を行い
それ以外のポイントを国民に見せる形で議論を行い
法案を可決して進めてもらいたい。



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2015年08月23日

中国って

中国元の利下げを行い世界に影響を与え
それに伴い、ドル高がより一層進み始めている。
特に9月、もしくは12月には
アメリカのFRBによる利上げが行われるのではないかと
推測されており、それにより今まで新興国へ投資していた
投資家がアメリカ国内へ目を向け始めるだろう。
そのため、新興国からはドルが海外へと流れていき
対ドルの自国通貨が安くなっていってしまう。
それにより、ドル建てでの債券は非常に返済に苦しむことと
なる。

先日、天津港付近で起きた化学薬品が納められている工場から大爆発。
中国政府が情報を統制しているため、正確な情報が掴めていない。
しかし、未だはっきりとした原因を把握できていない状況に
世界は驚きを隠せない。 許容範囲を超えて保管していただの
水と反応すると爆発するような化学薬品に
火災を止めようと果敢に現場に近づき水を放ち
それが原因で火に油を注ぐように爆発を誘導させた消防士の知識、経験不足。
さらに、今さっきニュースがあり違う場所で化学工場にて爆発があったと

モラルやモラルハザードが低い国が世界を大きく変えるだけの
チカラを持つこと自体、あってはならないこと。
以前、中国へ出張したことのあるかたに聞いたところによると
経済は成長しているが人々の価値観やモラルは日本と比較すると
10年、20年ともいえるほど遅れているらしい。 
その人だけが感じたことだとその当時は
思っていたものの今回のことでそれを露呈させてしまった感は否めない。

日本政府が発表した戦後70年談話に対しての批判的コメントについて
個人的には戦時中日本が行ってきた領土を占領することを
そのまま今の時代に行っている国が批判的コメントを出すこと自体
理解に苦しむ。自国の勝手な解釈により南シナ海に領土を作りそこに
軍基地を設置すること、約束を反故し油田開発を進めるあたり
常識、国際的な常識の通じない国(中国、北朝鮮、韓国)が日本の周りにある以上
安保法案を通過させようとする勢いはより増すだろう。
その安保法案に対しても批判のコメントを出す自国の行動を顧みず
他国を支配しようとする図々しさ。 世界からドンドン嫌われる国になるだろう

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2015年08月16日

終戦って

終戦記念日が今年もやってきた。
しかし、残念ながら今まで僕個人として
あまり何も意識もなく感じず過ごしてきた。
それは、戦争当事者でもなく戦争体験者が
身内にいなかった(いただろうが話す機会がなかった)
ことが一つの理由である。
正直、何が起きたのかそしてどんな残虐な事を日本が犯したのか
全く分からないし教科書で学んだのもホンの数ページだけであったと
記憶する。さらに試験のための勉強であったため
必要な情報特に日付や誰が何を行ったかしか頭に入れず
授業を受けた。その背後に何が起こり時代背景を理解することや
より深く勉強することをしてこなかった。

だからこそ僕個人では、終戦記念日=8月15日=お盆=夏休みの中の一日
という構図が生まれ何か特別な日という意識が働いたことはない
それは、今でも不変的な感覚である。さらに言えば今現在メキシコにいるため
それはより顕著である。
しかし、今年は戦後70年ということもあり安倍政権が70周年を記念して
政府公式談話を出すとか安保法案可決などもあったため
海外からも特に中国、韓国からこの談話について注目を集めていた。

今現在、その発表した談話の是非が問われているが
使われているコトバが適していないだとか
首相個人のコトバで語られていないとか
さまざまな批判的なコメントもある。
しかし、何を基準に批判し称賛するのか
その基準となるものは我々,特に僕個人は持っていない。
その理由は、勉強していない。恥かしながら知らないからである。

戦争についてもそうだが、戦前、戦中、戦後について
日本政府として反省してきた部分もあるが韓国、中国など被害を受けた側の
感情は全く僕たちには理解できない部分まで奥深く刻まれている。
しかし、アメリカから受けた唯一の核被害国として
彼らの心情も日本人として理解できると僕個人として思う。
それは核に関しては完全な被害者であるという見解を持っているからである。
一方でアジアに対しては加害者という微妙な立場であるため
核による被害を大にして言えない部分もあるのも事実。
ただ、核被害者であることからアジア各国の心情をより理解し
ドイツのように戦後70年経っても反省をヨーロッパ各国へ示し続けて
いるように中国や韓国へ反省を示していくべきかと考える。

談話の内容や使われたコトバうんぬんより
それを判断できるだけの土台を今からでも
早急に作り上げることが大事になってくるだろう
学校での学科として、小中学校から勉強し戦争について
自分で答えを出す方法で授業を行ってもらえたら
と個人的に思う。



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2015年08月09日

コトバ

「言霊」、言葉のチカラっていうのを改めて感じさせてくれた。
正直なところでは、言葉、特に漢字の成り立ちから
くる言葉、字の意味を理解することで普段何気なく
書いたり、発したり、使っている字を深い説得力を
持って幅を利かせることができること。
それが「コトバ」である。

「言葉」の葉は、四季を通じ色を変えつつ形を変えつつ再生する
それは、自分が発したことが何れどのような形でも自分に
降りかかってくること示す。
だからこそ、ネガティブな言葉ではなく
ポジティブな言葉を使うことで
状況は変わる。

「命」という漢字を使う言葉は多々ある。
人は、生まれたときに名前を親から
命名される。 名前に命を吹き込む。
人生には「運命」があり
「運命」の中にはやらなければいけない宿題がある
それを「宿命」という。
その「宿命」に対し命を使い果たして臨むことを
「使命」という。
この3つを行ったうえで「寿命」というおめでたいという意味に。
いわゆるこの3つのことを行うことによって「人生を全うする」という
意味になるという解釈。

人生に苦しい事や困る事さらに災いが起きる。
それ自体非常に対応に難しさを感じているはず。
それを人は、「苦難」、「困難」、「災難」と言う。
しかし、このような事がないことを「難しい」ことが無いことを
僕たちは「無難」という。 
しかし、無難な人生には一見幸せそうに見えるけど
生きていく過程、段階で何も起こらない。あっという間に
時間も人生も進んでいく道のりだろう。

そこで、先人は上記に示した言葉「苦難」、「困難」、「災難」ということが
「有る」人生を「有」「難」という示した。「有難う」。
このような苦難、困難があることで何かを学び、学びなさいという風に
漢字に「有難う」と当てはめた。

漢字の本来の意味や成り立ちを理解し
発することがコトバの深みを増し
そして、それを使う人間の深みをも増すものと
捉えることができるのではないか




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2015年07月27日

こんな

冷房のかかったバスに乗っている最中に
ふと自分の人生とメキシコにいる関係性を
説明するによい例えを思いついた。

「ゴールデンウイークの高速道路とショートカット」

社会という道を歩んでいると
それぞれ凄い才能や経験を持った
者たちが道路に溢れ、せっせと歩み
続けている。それは、道一杯に広がっており
その間を抜けるように「世渡り上手」という
言葉のようにすっと人より前へ進んでいく。
ある付近では、壁のように強固なものに
歩みを妨げられモガきながら死苦八苦している。
さらには、語学留学、留学という飛び道具を利用し
道路脇をすーと楽して前へと進める人も
ほんと様々な方々がこの社会という「道」を
歩んでいる。 

その点、怪我の功名というのか僕は「この先何キロ先渋滞です」という
自分で危機を回避しようと手前の出口でその「道」を降り
国道や県道を利用し高速道路を上に見ながら
進むべき方向を確認し前へ進む。 
しかし、自分では高速道路を上に見ながら進むも
国道や県道は信号があったり、高速道路沿いとはいえ
まっすぐではないためあちこちで右折や左折を繰り返さなくては
いけなくいつの間にか全く違う場所へと
歩を進めやっとの思いでのった高速は全く別方向へ行く高速で
反対車線を見ると同様に物凄い渋滞に巻き込まれており
出口の看板もなく乗った以上進むしかない状態へ追い込まれてしまった。
そして、たまたま立ち寄ったサービスエリアで
面白いものを発見してしまった。
こんな感じが今でもメキシコにいる理由ではないのか




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2015年07月20日

プロセス

衆議院を強行採決によって突破した安全保障法案
参議院にてどのような審議があるのか分からないものの
確実に法案成立への道のりを歩き始めた。
それに伴い、法案への反対を訴える市民や団体が各地方にて
集まり法案廃止を叫んでいる。 

その一方、責任の所在が曖昧であることを露呈した
新国立競技場建設計画について首相の「鶴の一声」で
計画を白紙に戻すという決断を下す。

あまりにも政府への風当たりが強いため
火消し役となり計画白紙と公言したのだろうと
言われている。 
ここで、疑問なのは建設計画を白紙に戻すことが
出来るのであれば、安全保障法案も同様に
白紙に戻すことが良いのではないだろうか?
首相自身が「国民の理解が得られているとは感じない」と
言っている点から「何故、そんなに強行に採決へと
踏み切るのか」が国民から第3者からみても理解に苦しむ。
急いで結論出す必要があるのかも疑問に感じる。

個人的な意見として結果かどうあれ
それに至るプロセスが筋が通っていない
現状には嫌気を差してしまうし
独断でドンドン決定していくところと
してはいけない点のポイントが
客観的にみるとズレているのかと感じる。
もちろん高度な政治駆け引きをアメリカや
中国を含めて行っているだろうが
やはり、国民にとっては明確な透明性のある
国民投票とかを行い、違憲合憲っていう
意味もない論議に時間と国民のお金をかけるのであれば
憲法改正に真正面からぶつかっていくことが
良いのではないのか。 

 
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2015年07月12日

疑問

最近思うのが、「変えても良いこと」と「変えてはならないこと」
の判断が個人的にできない、それとも大局的に見て出来ないのか
クエスチョンマークの疑問符が何個も頭を過る。

というのも、新国立競技場建設におけるデザイン変更と
建設費用の高騰と安全保障についての憲法解釈によって
集団的自衛を認めるのかっという2点について冒頭に述べた
「変えても良いこと」と「変えてはならないこと」が
全く持って反対の判断を下そう(下している)としている。

特に約2500億円にも及ぶ建設費用がかかる国立競技場については
先ずは、オリンピックを行う以前に新しく大きな箱を
作る必要はあるのか?更にはオリンピック後の活用方法を
視野に入れての判断だったのか?さらに当初発表していた建設費用
が材料費、人件費高騰により倍以上もなりイラン人建築家によるデザインに
なぜ、そんなに拘るのか?理解に苦しむ。
もし日本が原油産油国であるならば簡単にポンっと
出せる金額かもしれない。 しかし、そうではない以上
現実的な判断を問うことがただ、単に大きな立派な箱だけ残し
国民に税金を払ってもらう仕組みから脱することに繋がるはず。
それだけに身の丈にあった経営運営をしてもらいたい。
ツケを食うのは、国民であるから。世界的建築家である
安藤氏はなぜ有識者会議に参加しなかったのか?そこにも
疑問がある。

安全保障の会議では憲法解釈をもとに集団的自衛権を認めるように
するにはあまりに強引であり独りよがりであると感じる。
では、なぜ真正面から憲法改正へ働きかけないのか?
それは、反対されることがわかっているからこそ
その方法では出来ないと判断しているのだろう。
しかし、解釈によって変更可となれば本来の憲法の意味が
消え新たな意味が付け加えられることになる。
これも、根本的な部分で「変えても良いこと」と「変えてはならないこと」の
の判断が違う。

今後、どうなっていくのであろう?
中国、アメリカ、ロシアなどのパワーバランスによる
大局的判断を含め、憲法解釈、オリンピック
経済発展、消費税10%




では









posted by コビータ at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする