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2016年03月28日

黙祷を

"私たちは、パリで犠牲になった人たちに、30秒黙祷した。
しかし、亡くなったシリア人のために、1秒たりとも黙祷を捧げる人がいただろうか。"

3月29日に2018年ロシアワールドカップ出場をかけて戦うサッカー日本代表。

埼玉スタジアムで行われるその試合の対戦相手は、「シリア」である。

冒頭のコメントは、2015年11月17日 
ファジル・イブラヒム(シリア代表監督)のシンガポール戦の後のコメントである。

的を得るような強烈な言葉である。このコメントから読み取れることは

先進主要国である国だけが称賛や喝采を浴び優遇され、
発展途上国がそのような待遇を得ることはほとんどないこと。
人々にとって世間から忘れられることと同時にマスコミに取り扱ってもらえず
状況を発信することすらできないことが一番の屈辱である。

パリ同時多発テロの数日後にウエンブリースタジアムで行われた
国際親善試合フランス対イングランド戦では、黙とうを行い
被害者や被害者家族に対し弔意を表した。
さらに、UEFA(欧州サッカー連盟)はすべての公式戦において
喪章の付けることと黙とうを行うよう指示した。

しかし、どれだけシリアへの空爆や多数の死傷者が出ているという
ニュースを目の前にしても犠牲者に対し弔意を表すことがなく今日まで来ている(機会がなかった)。

サッカー現日本代表監督のハリルホジッチ氏も「ボスニアヘルツェゴビナ紛争」
に巻き込まれ家族とともに非常に苦しみ抜いた経験を持つものとして
両チームともワールドカップ出場を目指した真剣勝負の場であるものの、
今なお増え続けている(増え続けているだろう)犠牲者に対し「黙祷」を
試合前に行うことを日本サッカー協会に要請してもらいたい。

スタメン選手だけでなくベンチスタートの選手、スタッフ、監督全員が
センターサークルを囲み1分間の「黙祷」を行うことを願い次回の戦いに期待したい。
posted by コビータ at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

評価軸

ショ−ンKについて様々なメディアで報道されている。
非常に興味深いなあっと感じており、その理由が2点ある。
 
 1.メディア側が出演者の経歴を確認していない点。
 2.容姿や経歴が良ければその人が言うことを鵜呑みもしくは聞き入る点。

1に関してメディア側は、出演者を出演依頼する際に
その人の経歴を含むバックグラウンドを考慮して
人を選択しているはず。さらに所属事務所などは
経歴を詳細に調べない。もしくは仕事を取れるように
多少なりとも盛っているのか? 今となっては
そのプロセスも分からない。

公の場に出演する方は、虚偽の発言や行為があった場合は
非常にバッシングの対象となり活動自粛へと追い込まれることが
多い。しかし、虚偽は経歴であり発言や活動行為が虚偽でなかった場合は
どうなるのだろうか?
今回、彼は活動を自粛することを決断した模様だが
そのように偽りの姿を継続して演じさせてきたのは
実は、私たち視聴者ではないだろうか?
 
2に関して僕たちの評価軸が容姿や経歴であって
彼のコメンテーターとしての発言は
そこには含まれていなかったんだと。
様々なメディアで後出しで彼について"実は怪しいと思っていた"
"あんまり発言しない"とかコメントされる方がいるけど
人それぞれ大なり小なりで良くみられようと偽証することは
芸能の世界では当たり前であろう。
 それは、俳優、藤原竜也が「サッカーの選抜に入っていた」という
偽証を自白したように今このタイミングで謝罪すれば被害は小さく済むと
思い自白した模様。非常にリスク管理が出来ていると言える一方で
汚いやり方やなあっと感じる。
 結果として、テレビに出演する、仕事を貰うために
利用した経歴偽証は手段としては間違っているものの
何を大事にし何を伝えるのかという評価軸を持っていれば
経歴がどうであれ問題ないように感じるが
そこに説得力が増すかどうかはその人の人となりが
重要になってくるはず。


政治家や公務員のような方がトンチンカンなことを
発言し国民に不利益を与えても謝罪さえすれば
継続して仕事を出来る社会であるのに対し
彼のような方は活動自粛と追い込まれる。
弱肉強食の世界である。 
そして、僕たち一般人は何を見て何を評価軸にして
判断するのか問われているように思える。
政治家や公務員は僕たちが支払った税金で生活を
成り立たせている。その一方で彼らが発言するトンチンカンな
事で不愉快を被ることがある。(それは高学歴であれ経験ある方であれ)

今回の偽証自体は良くはないが
評価軸をどこのポイントに置いて
見るかもう一度考えてもらいたい。




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2016年03月14日

あの時から

震災から5年が経った今、被災した方々を
フォーカスした番組が放送されたりしている。
しかし、それはある断面でしかなく
本音の部分は良くも悪くも見えづらく
継続的にドキュメンタリーしているのは
ほんの僅かであろう。

僕が足を運んだ女川町は、他の地域と比較しても
復興が進んでいるらしく震災から3年経った時に
足を運んだ際、既に更地へと変貌しており
ダンプカーが土砂を砂ホコリを撒き散らしながら
運んでいたのを思い出す。

偶然、数名の被災者の方と話す機会があり
「震災から3年経ちますけど、どうですか?」
っと尋ねたところ、思いがけない言葉が帰ってきた。
「被災した地域によって復興速度の違いがあること、
完成した住宅にどの家族が優先的に入居できるのか
被災した方々の中にも格差が出てくるだろう」
この言葉は、非常に鮮明に覚えていることである。
目に見えない不安や不満が、今後目に見える形で
表れてくることを示唆しており
あれから2年が経つ今、街は良くも悪くも変貌して
いくが彼らの内面はどのように変化しているのか
非常に興味がある。

このようなことをフェイスブックに掲載したところ
女川出身の写真家、鈴木真弓さんから
「女川は街の復興を優先的に進めており
人口流出を防ぐため魅力的な街作りを
目指して活動している」とコメントがあった。

それと同時に人々の心の変化はどうなっているのか
興味がある。 彼女のように継続的に彼らの生活ぶりを
追っている方はどれぐらいいるのだろう?

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2016年03月09日

それは突然に

それは、突然やってくるのだと

僕たちは、生まれてから「死」に向かって
人生を歩いている事を改めて思い知らされた。
僕にとっては、馴染みの薄い言葉「ガン」(誰にとっても馴染みの薄い言葉であってほしい)
を耳にしてしまった。 
「転移性腫瘍」と「肺ガン」との併発
そして放射線治療。
ドラマや映画などで耳にしたり目にしたりしたけど
まさか、それが自分の父親から発見されるとは?

年齢的にも生活習慣的にも病気になるリスクがあると
分かっていたものの まさか、「ガン」という重く体にズシリと
響く言葉を聞かされるとドン底へ突き落される感覚に陥る。




posted by コビータ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

答えはない

突然ではないものの、3月が始まろうとしている。

そして、この時期決まって放送されるのが
東日本大震災についてのこと。
あの日からもうすぐ5年が経とうとしている。
ボクら震災を免れた人達から見た東北は
「同情」という眼鏡をかけて映し出した姿であって
「可哀そう」というだけの色眼鏡で見ているようなもので
はないかと感じる。さらに、年々眼鏡のグラデュエーションは
厚くなっていき
不幸の中に起こった出来事から
何かしらハッピーエンドを探そうとする
もしくは感動するような番組構成や記事になって
いるのではないか? もしくはそうなっていくのではないか?

さらに言えば、そのような記事や番組構成をどこかで
望んでいるのかもしれない。

しかし、被災した方に言わせれば語弊があるが「同情するなら金をくれ」であろう。

同情と共感についての説明したわかりやすい記事がlifehackerに掲載されていたので
みてもらいたい。

「共感」(Empathy)と「同情」(Sympathy)は似ているようで、大きく異なります。どちらも悪い意味ではないですが、共感が誰かと感情面でつながることを意味するのに対して、同情というのは一般的に、不幸な状況においても「不幸中の幸い」を見つけようとすることです。

共感する、という行為で大切なのは、相手を評価しないことであり、当人にとってはあまり意味の無い「不幸中の幸い」を探そうとせずに、その代わりに相手の気持ちを心から理解しようとすることです。
<参照記事> lifehakerより「共感」と「同情」は似て非なるもの 
       http://www.lifehacker.jp/2013/12/131227empathy.html


同情は不幸中の幸いを見つけようとすることであり
いわゆるこちら側の意図によるもの
共感は、相手の気持ちを心から理解しようとすることで
相手の気持ちを汲んでの想いや行動である。

時間の経過とともに被災者や被災地域は復興に向けて進んでいる(はず)が
一向に進んでいない地域も少なからずある。
しかし、残念ながらボクら免災者はそういうことに対し
共有することも共感することも出来ずにいる。

何が出来るんだろう? 憂鬱である。


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2016年02月22日

ふと

僕たちは盲目的に様々な指示や習慣(価値観)を
受け入れてきており、家庭や学校生活を送ってきている。
それは、あたかも当たり前のようにルール化してきており
それに従っているという感覚さえも持っていないのではないだろうか?
当然、疑うこともせず日々過ごしている。

社会に属する者としてルールや規則を守ることを第一に学校社会を過ごし
個人が社会生活に適用できるよう学びの場と化している。
特に上下関係の厳しい縦社会である日本において
目上の方を敬うことを非常に大事なルールとして持っており、
例え理不尽なことであってもそれに従うよう強要されることも多々ある。

僕個人として学校は「我慢」を学ぶ場と化し
ルールや規則にがんじがらめになりながら
生活を続けないといけない苦しさを味わう場でもあった。





posted by コビータ at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

老い

パスポートを紛失(見当たらない)してから約3−4か月が経とうとしている。
しかしながら、申請するまでには至っていない。 
一応、書類など申請に必要な書類などは準備してはいるものの
面倒臭いと感じ後回しにしてしまっているのが現状である。

昨日、申請に必要な写真を撮ってもらいに
いつも降りる会社近くの地下鉄の駅から1つ先にある駅へ
行った。そこにはメキシコで働きはじめてから
ビザの更新のために写真を撮ってくれるほんと小さなお店が
ある。 
今回も同様に接客にあたった人当たりの優しいおばさんが
カメラを構えシャッターを切ってくれた。
しかし、5分ぐらい待って渡された写真を見てガックリ。
自分の老けさに驚く。 
目の下や口元の皺にビックリ。ひどく鮮明に自分の顔の
縦横無尽に駆け巡っていた。 
毎年ここでビザ申請のための写真を撮っていたので
そのたびに自分の顔が老いていく感覚を持っていたものの
今回は非常に酷く自分の顔じゃないっと思え
朝、顔を洗ったときにはこんな顔していたか?っと
自分で自分の顔を見る眼も老いてきたのかと感じるほど。

ただ、全体的に疲れているような顔になってきており
仕事中に撮影したからなのかどうかはわからないが
夜見る自分の顔と比較にならないほど変わっていた。

なんとか強引にでも若返りをしないとっと思い
伸びていた髪を切りに行き見た目を少し変えた
洗顔を全然していなかったこともあり
スーパーで洗顔クリームを購入しに行くも
見当たらない。 
顔だけではなく体も変えていかないと
と思い早速ジムへと足を運ぶ。
40代間近やから心身ともに良い状態で
40代を迎えたい。 
頑張ろう。

posted by コビータ at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

属する

「無所属と闇」

人間は、何処かに属しながら生きている。
それは、案外気付いているようで気付いていない
ようなあまり意識したことがないこと。
「社会」「家族」「学校」「会社」「恋人」「チーム」などに属している。 
人は、生まれながら必ず何処かに属する
まずは、「家族」。ここから様々なグループに
属しながら個人として様々な経験と価値観を得ながら
成長していく。

しかし、無所属となると人は、どうなるのだろうか?
いわゆる「家族」、「チーム」,「会社」などから
無所属となったひとの行き先は何処へ?

今回、清原氏の薬物使用と所持による逮捕報道を
見て所属先を失う先は闇なのかっと考えてしまった。
乙武氏がスポーツライターだった際に清原氏に対し「非常に繊細な方でそれを見せないように
大きな態度や言動を行う方」というような印象を受けた
とコメントしたのを見て 本音を言いあえる仲間の中に
属せなかったのかな?っと感じてしまった。

「家族」「子供」「野球界」「芸能界」からも
属することを断られ、すがるものは闇の世界だったのか?
闇の世界に属することは、「社会」にも属さないことを
分からなかったのか疑問に思う。それだけ、無所属の先にある自分に不安であり、それを安らげてくれるのが
「麻薬」であったのか?
しかし、闇に属することなんて出来ない。
その世界は、弱肉強食であり弱いものから
とことん採取する世界であり
そこでこそ、現役時代にみせた豪快なスウィングを
していかないと生きていけないのに
ボクシングでいうヒット&アウェイによって
蝕まれていく。もうそこには現役時代の面影は見えないほどボロボロな身体へと変貌した姿しかない。

スポーツ選手のセカンドキャリアの必要性と叫ばれはじめて既に月日が経つが未だしっかりとした制度が作られていない。所属先をなくした人が属する貯まり場をつくり
不安なを取り残し前向きに次の所属先へと移行出来る様に
していくことが非常に大事である。しかし、一向に進まないのが一般的に閉鎖的な野球界、相撲界ではないか?
今回の逮捕によって両各界で一個人の問題とせず、セカンドキャリアについて真剣に考えてほしいと思う。

清原氏には皮肉であるが、薬物使用によって
刑務所へ行くこととなり「無所属」から「ムショ属」と
なり属するグループが出来た。




posted by コビータ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

木の根幹から

屋外を見ながらスターバックスコーヒーを
飲んでいる。ふと、今年の出来事を
目の前にある木々を見つつ黄昏ながら
振り返る。
大きな木々の先にある緑、黄緑の葉が
気持ち良さそうに吹いてくる風に
身を委ねクネクネしながら上から下へと
落ちてくる。
その様子を観ていて、今年の自分に
似ているなあっと気づく。

大きな木々の根幹は意志や意思を表し
枝は、その人の可能性を表し
花は、夢や目標を表している。
まさに、「人は木のようである。」

しかし、流れという名の「風」は
芯の弱い木々を巻き込み遠くへと運ぶ。
さらに、誘惑という名の虫が木の根幹である
「意志や意思」を食い尽くす。
それに伴って、「意志や意思」の上にある
目標や夢は崩れ落ちていく意志では
支えきれずガラクタのように捨てられていく。

まさに、2015年は崩れ落ちていった自分の意志であった。

スペイン語1日一記事、DELE受験せず
オンライン英会話を始めたものの復習せず
体重を減らすために始めたジム通いも辞めた
意志に一貫性がなくどれも中途半端。
無為に時間を過ごすことが多く
何も得るものがなかった年であった。
いわゆる負け犬である。

まずは、掲げる目標を好きで継続的に
実行できるか?っというポイントに
重点を置き楽しめるように工夫し
考えも変え実行していく。
さらに、時間を無駄にしてしまわないように
時間割をきっちり付け、それに沿って
行動を起こしていく。
posted by コビータ at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

何処へ

ふと「旅ノート」について思い出した。

約11年前に中米から南米を旅した際
分からない土地を歩き、不安を抱えながら
次の街へと足を進めていたときに
行った先々で先ず探したのが「日本人宿」
幸いながら、旅に出る前にある程度どの場所に
日本人宿があるかなどは教えてもらっていた
のだが、それでも実際に場所を聞きながら
知らない土地に降り歩き始めると
言葉を理解していた当時の自分でも
否応なく不安がこみ上げてきたのを
思い出す。特にバスなどに乗って
夜に目的地に到着した際は
それは相当な不安がこみ上げ、
歩みが早くなったのも思い出す。

たどり着いた先々の日本人宿に当時あった
大学ノートに先人(旅人)の貴重な旅の体験談を
含む様々な場所へと行き方や注意事項が
詳細に書かれていた「ノート」。
あの「ノート」がなければ気にならなかったことや
場所が多々あったことを
今になっても思い出す。 
旅人が行った時期、ルート、どこに泊まったかなど
ホテルの質、盗難の有無、地図など
本当に11年前の情報としては、手書きで
見にくいものもあったと思うが
非常にクオリティーが高いと今でも感じる。
そこには、旅人ならではの想いが
そこに記せられているからである。
というのも、旅していると良い体験だけでなく
もしかしたら悪い体験の方が多いかもしれない。
そんな自分が体験した嫌な想いを
次、同じように旅人が苦い想いをしないように
との思いで書き示してあるからである。

ただ、あれから11年が経ちインターネットが
普及し簡単に情報が入る中、
「旅ノート」以上に詳細に記した情報が得られるのか?
検索しても大体得られる情報は、決まって一部分であり
旅に行った感想が書かれた各個人のブログに行き着く。
そこに書かれているのは
旅をする上で得たい情報(危険度、ホテル情報、詳細な地図など)
がほぼ皆無である。

特に「旅ノート」に書かれていたウユニ塩湖での注意事項
「絶対に決められた場所で用を足すこと。」
綺麗な風景を観れることもあり
開放的になり塩のホテルの外で用を足すひとがいる
でも、旅のマナーとしてそれは景観を汚す行為であるため
絶対に行ってはいけないこと。

しかし、今はインターネットの普及とSNSによるウユニの写真の
蔓延で旅行者が急激に増えているため
非常にゴミなどが増えており現地でも問題になっていると
報道がある。
http://news.livedoor.com/article/detail/10919167/

同じようにマチュピチュも観光客増加による
遺跡の破損が相次いでおり
僕が旅したときでも数年後には
入場規制を敷くもしくは
封鎖をするだろうと言われていた。
今は、どうなのだろう?

「旅ノート」には、旅人が体験した様々なことを
記帳するツールであったが、それと同時に
次の旅人への想いを語る広場であり
旅の仕方、旅のマナーを教えてくれる
教材でもあったと思う。

だからこそ、もう一度先人の知恵や経験が詰まった「旅ノート」を
手にしその当時感じた想いをもう一度味わいたいなと




posted by コビータ at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

異常動物

知名度のある地位の高い方が
ツイッターで発した言葉が
マスコミに叩かれ始め
SNS上で賑わっている。

「同性愛者は異常動物である」
古い価値観で彼らを見れば
そのような意見がでることは
容易に理解できる。
しかし、現在は差別発言、行動は
非常に厳しく取り締めが起きているなかでの
出来事で、全く自分の立場や地位を
理解せず発言するあたり
ほんとにOld Fashionである。
さらに言えば、SNSの使い方と
その影響すら理解していないふちがある。
なぜ?このような事をツイッターで
述べるのか? ちょうど同じ時期に
ガンバ大阪の外国人選手に対しての
黒人差別発言があってニュースでも
話題になっており、皆その発言者の
なりを見つけ出そうと躍起になっている
最中に もうアホとしかいえないほど
惨めにしか思えない。

百歩譲って「異常動物である」って思っていても
表立って言う事でもないやろ
そういう人が上の立場にいること自体
もう地方政治も終わりに近づいてきている。
推測だが、このような考えを持った方が
多々いるはず。古い価値観の持ち主たちが。

「同性愛者は異常動物である」のであれば
メキシコでは異常動物だらけになるやん。
異常動物同士の結婚は正常という意味になるのだろうか?

posted by コビータ at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

気になる

テロが欧州だけでなく、世界へと
広がりつつあり恐怖が感じられるように
なってきたのではないか?
今まで、対岸で起きていた事件が
身近に感じられるようになり
他人事から自分事へと移行して
きている。
しかしながら、日本はというと
未だ他人事のように感じているだろうと
推測する。やはりそこには、島国であり
国境という概念がないことが、情報を
身近なものから遠ざけさせているように
感じる。

フランス、パリ同時多発テロの前後に
様々な国や地域で同様な無差別テロが
起きているのにも拘らず、フランスだけに
偏った報道がされる時に 多くの方々が
フェイスブック上にフランス国旗トリコロールを
プロフィール欄に載せてしまっている。
右に倣えで一斉にである。
その前後で背後で何が起きているかも
知らないでである。 

偏った報道によって偏った知識を
植え付けられてるとも知らずに。
普段から考えていないと
流れに乗せられてしまい
偏った見方、考えかたへと
なってしまう。

これを平和ボケというのか
分からないが 危機感がないのは
いかがなもの?
posted by コビータ at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

基準

報道基準に疑問を感じてしまった。

というのも、無差別殺人であるテロが
フランス、パリで起きた。
死者が100名を超えると報道され
更に被害者の数が増加するだろうと
言われている。

今回の報道を通じ、フェイスブックの
プロフィール欄に哀悼の意と平和への祈り
を込めてフランス国旗のトリコロールを
付ける機能が世界中を駆ける。

しかしである、「なぜ?フランスだけ?」報道として取り上げられるのか理解出来ず冒頭に述べた事を
を感じたのがブログを書く発端となった。

マスコミも視聴率や購買部数を意識した報道を
余儀なくなっているのは非常に理解できるものの
フランス、いわゆる先進国に部類されている国で
起きた事件だから報道されるのではないかと
仮定してみるとすんなりと頭に入ってくる。

仮定:
報道基準=犯罪の種類、方法✕国、地域✕被害の規模

フランス、パリで起きたテロと同時期には
レバノン、ケニアでも無差別殺人やテロが
起きている。
しかし、報道はあまりされていない
そこに、先進国優先の報道姿勢が
各メディアで見受けられる。

もし、今回の自爆テロが途上国で
起きたのなら、フェイスブックなどを
巻き込み今回のように世界中へと
広まるのか? 

答えは、No!である。

それは、実際にフランス、パリのテロ事件
の2日前にレバノンにてテロ行為が起き
多数の方が亡くなっている。
ケニアのとある学校に複数人忍び込み
銃を乱射し多数の犠牲者が出ている。

そのことを踏まえると
先進国優先、途上国は後回し。
あたかも途上国についての
報道は価値がないと言っているようなもの。

報道されることによって助かることもあるが
報道されないことは虚しさと焦燥感を
感じることになるだろう。


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2015年11月08日

好奇心

「好奇心がなければ、ただのジジい」BY田原総一朗。

80歳を過ぎ未だ現役ジャーナリストとして活躍されている彼は
自分を表現した際に冒頭の言葉を発したのを耳にした。
年齢を重ねるに従って考えや行動はより狭まっていくのが常。
しかし、そんな自然な流れに逆らうように今なお好奇心を持ち続き
走っている彼の姿や言動は非常に興味があり
今後の行動にも注目していきたい。

posted by コビータ at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

魅了

人を取り込み、魅了させ、入り込ます術は何だろう?っと
考えたきっかけがラグビー日本代表の選手たちの姿勢や
情熱さらに言えば意外性もあり見事に世間一般の方は
南アフリカ戦での彼らの闘いぶりに魅了されたはず。

スポーツには、エンターテインメント性が少なからず
含まれ観客を虜にする。その一端を垣間見れた瞬間だった。



スポットを浴びるスポーツもあれば、オリンピックや世界選手権、ワールドカップで
好成績を上げて世間にその存在自体を知ってもらうスポーツもあり
それは、様々である。 しかし、サッカー日本代表をみていると
非常に虚しさを感じずにはいられない。 今現在、多数の日本人選手が
海外でプレーしているものの日本代表として試合に出て活躍している選手は
一握り。常に低パフォーマンスでレベルも低く相手が格下であっても
見ている観客が呆れてしまうぐらい結果がついてこない。

このラグビーとサッカーの違いはなんだろう?と考えたときに
重要な単語が2つある それは「情熱」、「伝える」である。
これは、観戦者や受け手側の感情を刺激するか試合内容かどうかの違い以上に
選手の視線や必死さからくる温度が熱いと感じれば感じるほど
受けてはそれに魅了され没頭してしまうのではないか?
先日行われた国際親善試合日本対イラン戦では、親善試合とはいえ
アウェーで戦っており貴重な試合となるはずだった。が、
内容は低調で必死さをTVから感じることはなかった。 根性論ではないが
個人的に一番覚えているゴールシーンは、94年ワールドカップアジア最終予選の
イラン戦の中山選手のゴール。 必死さが伝わるプレー。



このワールドカップに出場しサッカーの知名度、認知度を高めようという
プレー以外の部分の想いが詰まった行動に人の心を動かすチカラがあった。
さらに言えば、それが人に伝染していきポジティブに働いていく。

戦うから闘うというものに変化していく中で観客はそれに
魅了されていくのではないかと感じる。
戦うと闘うの違いは、必死さ、泥臭さ、想いの有無、温度差であり
今現在、ラグビー日本代表は果敢に闘い、次回ワールドカップを日本開催するにあたって
開催するに相応しいチームでありたいという想いも含まれ
結果としてファンを魅了する意外性を試合で出した。
それと比較するとサッカー日本代表は、ただ戦っているだけ。
そこからは何も伝わってこない。
人を魅了するには、必死さを出していかないと
今後は、いくらホームでの試合があったとしても
観客数は激減していくだろう。 

 


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2015年10月10日

連想

言葉から得るイメ−ジを可視化する能力が
ないのか、減退しているのか?

正直、将来のことについて見えないなか
一歩一歩踏み出していかないといけないなか
実際に目に見える形になるまで
待ってから行動するというのは
このグロ−バル化が進む中で
非常に遅いと思われる。
だからこそ、言葉を聞きながらそこから
連想する将来像を描き、それに基づいて
行動していくことが
非常に大事ではないかなっと。
いわゆる未来予測というのか
例えば、大阪都構想とかね。橋下市長の説明不足は否めないものの
その言葉からどれぐらい将来像を連想できるのか
その連想力というのか立案力、想像力というのか
住民に試されているのではないかなあっと
個人的に思う。 

しかし、一方で連想力や想像力は経済に影響されるのかもしれない。
経済的に余裕のない方々には連想することよりも
現実に向き合わざる負えない。 そのため、いくら政策などが良くても
経済的に負担が増してしまうような事が起きてしまうと拒否反応を起こしてしまう。

連想力x行動力 =将来 
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2015年10月04日

アイドル_?



アイドルがファンとの交際が発覚し所属事務所から賠償請求を受ける。
先ず、何をもってアイドルと名乗るのかがはっきりと定義出来ないし
事務所やメディアから押し付けられた名称なのかイマイチはっきりしないのが
個人的な印象である。
僕自身、アイドルと言えばと聞かれたら、年代もあるが
80年代から90年代に活躍した中森明菜、工藤静香、WINK、浅香唯とかを挙げる。
ファンを通り越して親衛隊なるものまで出来ていたのも思い出す。
しかし、なぜ彼女らをアイドルとして認識しているのかと
問われれば分からない。
おそらく、若くて可愛らしく未成熟でありつつも頑張っている姿に
自分もあのようになりたいという願望とマッチしたことから
「憧れ」という感情を抱き、さらに親しみやすい
キャラクタ−、口調言動にも愛着をもつことによって
独自のアイドル観を形成していったのだろう。
だからこそ、アイドルに抱く思いはハンパなものではないはず。
自分の気持ちを反映し代弁してくれる存在へ変貌していくなかで
同時に自分のものから皆のものへと変貌していったのだろう。

だからこそ、ファンの応援や心理的愛着を得て初めて
「アイドル」として認識されるものであって
所属事務所やメディアによって押し付けられ形成された
「商品」としてのアイドルは非常に受け入れ難いのが個人の意見である。
アイドルグル−プ「xxx」って枕言葉になって
発信するのはもう時代遅れではないかとまで感じる。







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2015年09月27日

数。

数の持つ意味について考える。

あまりにも数字だけが先走りし
それに意味を上乗せする解説者や批評家たち。
そして、それを正当化しようとしている感じる。
数字を扱う者のモラルが非常に低下していると
感じるのは昨今非常に目立つ。
それは、東芝不適切会計、難民受け入れ問題などの
ニュースでわかると思う。

社会人になってからは、提出するものは
必ず、何かしら具体的な数字を入れろを
教わったが、それでも、数字をコントロールするのは
作成者であってそれが適した数であるかは
非常に判別が難しいことが多くさらに言えば
見逃してしまいがち。

数字=嘘をつかない
数字を扱う者=嘘をつく。もしくは自分の論理に適したように利用する。

巷で話題になった「数の論理」とか
難民受け入れ人数の発表に
受け入れ人数の多さ少なさを論じるのような報道など
数字に意味合いを上乗せし
その数字に意味のない正当性を増す報道に
正直嫌気をさす。
理由として、双方とも数を競いあっているのではないうえ
意味もなくその数字に正当性があるかのように
示すからである。


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2015年09月19日

スカウタ−募集

「スカウタ−募集」

しょうもないプレ−しかできない選手が集まる日本球界。
そのつまらなさから国民からもそっぽを向かれる。
万年ベンチに座り、状況を見ては野次を飛ばし
仲間にエ−ルを送る術を身に付け解雇されずに
重宝されている。
そのため、球界ル−ルによる戦力外通告は4年ごとと決められていることもあり非常に球界の新陳代謝は図れていない。
また、スカウティングできる方がいないのが原因で
注目できる強力選手を獲得できず、
それが、さらに国民に球界に対する興味を失わさせている。

苦肉の策で新陳代謝を図るためトライアウトを導入するも
甘い査定を下され、多くのポンコツ選手が再度球界に再登板。

さらにドラフトにかかる素材がいないのが難点。
ポッと出の素材には厳しい野次が飛ぶ。
マイナンバ−610つけた新人選手は、暴言を吐き
所属先がない状態に。 

そんな中、旧態依然の球界に新しくSEALD´Sという名の
球団を作り編入しようとするが、その前に球界の壁が大きく立ち広がる。

球場は閑古鳥の鳴き声が聞こえるほど少ない。
しかし、球界のドンが大鉈を奮う。
球界のタブ−を破る挑戦に出た。
もともと海外遠征を禁止してきたル−ルだったが
ル−ル上の解釈を変え選抜チ−ムを編成し海外遠征へ
行けるようにした。これにより敵地にて外国人チ−ム
と戦うことを可能にした。

いまのところ、海外遠征もしくは親交の深いアメリカ選抜の
応援遠征するという発表はないが
海外から、特にスコアを改ざんするのが得意な中国選抜、
何かとクレ−ムを付ける韓国選抜、
そしてテポドンという長距離バッタ−を擁する北朝鮮選抜
から対戦希望が届いている。

これから、球界を盛り上げつつも
厳しい目を持ったスカウタ−が必要となる。
それが、自分たちである。
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2015年09月17日

ドローンと報道

緊急時のドローンの利用と報道ヘリの利用について
ルールと規制を定めたほうが良いと考える。

昨今、ドローンを利用した危険な行動によって
航空ルールが定められたが、使う場所と利用目的の
適材適所を検討し再度ルール見直しをしてもらいたい。

というのも、先週起きた鬼怒川決壊による被害を
報道各社が必死になりヘリからの生中継を含め
情報を流した。 
しかし、上空には自衛隊ヘリがありそのさらに上空に
報道各社のヘリが飛んでいたという。 
自衛隊ヘリにとっては、非常に救出作業の邪魔で
接触という危険にも晒される。救出どころではなくなって
しまい本末転倒である。 
さらに言えば、一回ヘリ飛ばすのにいくらかかるのか
知らないが相当な金額が動くはずである。
情報や画像を得るのに報道各社がしのぎを削るのではなく
共有という形で情報を得ることができないのかと考える。
救命第一であり、報道はその次である。
報道が救命を邪魔しているとなっては全く意味がない。
しかし、ここでドローンを活用できないかと考える。
コスト面、安全面を含めさらなる改善は必要であることは
承知するが救命第一に考えば非常に有効な手段である。
さらに、取り残されている被害者たちに言葉をかけれる
ような双方向コミュニケーションができるようになれば
勇気つけれることも可能であり、緊急災害用の一つのツールとして
利用できるのではないか?

だからこそ、適材適所を考慮したうえで
再度航空ルールを見直してほしい。

posted by コビータ at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする