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2016年07月23日

あほやな

人は、どこかに属しながら生きている。
それは、学校、会社、クラブであり
大きく括れば社会である。

そして、今回大きく人生を変えることになるだろう
決断をした。 丸9年という長い月日をメキシコで
過ごしその大半の時間をとある会社で費やした。
今となれば良くも悪くも人生の中の30代を過ごさせてもらった。
辞める理由はこのままズルズルと変化のない生活を
続けることに危機感を抱いたことがきっかけである。

これから何かに属さない生活が始まる。

右から左へ、左から右へと物やサービスを動かすことで
得る利益を求めるのではなく
自分から何かしら価値あるものを生み出し
発信していくことで得る利益や価値を
得ていきたいと思っている。 
年齢的に考えて正直こんなことを思っていること自体
アホなやつと思うだろう。
しかし、自分の時間は自分で消化していきたい
会社のために自分の時間を消化するカタチから
離れ、やりたいことに時間を十分とれる生活を
創り出しライフスタイルを形成していく。


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2016年07月17日

一歩前へ

ホリエモンこと堀江貴文氏の著書「本音で生きる」を読み終えた。

今までの自分の行動と結果を
思い出してみた。 
この歳になるまで誰と比較する
わけでもないが、それでも自分の好きな
ことをやってきた。 はず? 
しかし、自分がやりたいことを100%
やってきたかというとそうでもない。

結局、時間、お金、仕事、気分、面倒臭いから
など挙げればキリがないほどの
理由をあげてやって来なかった。
これは、誰にでも思い当たるはずだ。

しかし、僕達が唯一共通の物は
目には見えない物質ではなく
「時間」であり無限ではなく
「有限」である。

だからこそ、その限りある時間の中で
やれる限りのことをやることが
使命であるにも拘わらず
人は弱いもの。 行動するまえに
考え、出てくるネガティブなことを
理由にして行動を起こさない。

そして、僕もその中の一人であることは
言うまでもない。
メキシコに来て今年で10年となる
これまでも、自分のやりたいことを
優先し仕事を辞める判断をしながら
結局リスクが怖く、現状維持を
継続し、やりたいと思うことを
しまい込みつつ仕事をしていた。
しかし、そのしまっていた思いが
こみ上げてきたのが、2年前ぐらいからだ。
個展を行ったことが大きな理由だろう。
ほぼ、大体の仕事が物やサービスを
右から左へ、左から右へ移動させること
で得る利益で会社を運営し従業員の
給料を支払っているはずだ。
僕が担当している仕事も同様に
中国、韓国、日本から製造した
自動車部品をメキシコ全土へ
販売し利益を得ている。

しかし、その反面自分で物を
創り出し評価を得て利益を
生む仕事に興味を持ち始めた。
っというのも写真を撮りつづけ
メキシコの村々をまわっている
うちに、何とかここから
評価を得られないかと
考え始めたのがきっかけだ。

そして、トライしてみることに
決めた。
会社を辞めることを告げた。

あとは、行動だけ。
自分に言う、「逃げるな」
「リスク」を取れ。

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2016年07月04日

個展 「自分」BY NOTE

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2016年07月03日

あとわずか

ある物事に対して10000時間を費やしたら
プロとまではいかないもののある程度のレベルにまで
高めることができる。
社会人などで良く利用される諺で「石の上にも3年」
いわゆるやっと1人前になるまでに必要とされる最低限の年数
として使われたりする。
しかし、1日8時間x20日x36(3年)=5760時間であり
この計算だと3年でも半人前ということとなり
1人前になるにはもう3年が必要となる
しかし、この概念には1時間に対する内容/濃度が記されいないため
一概にはなんとも言えない。

しかし、10000時間費やしてきた人はさすがにある程度のレベルに
至ることは経験や歴史から見てもある程度証明されていることである。

内容や濃度は度外視して自分はある物事に対して
10000時間ほど費やしてきたことがあるかと考えると
多分、考えるだけで3つある。
それは、サッカ-/フットサル、写真、スペイン語(メキシコ生活)

その中で今スペイン語をもう一度見直す意味と
今更だがもっと深く知ろうという意味も込めて
DELEの試験を受ける。
まずは、B2というレベルいわゆる中級レベルの試験を
受けてみる。 この試験は言語を扱う上で基本的な
読み、聞く、書く、話すの4つで構成されており
過去問を解いても読みは出来るが、聞く、書く、話すは
かなり苦手であることが自分でもわかる。
正直、何年も働いていても話す相手や内容にあまり変化がなければ
自分の語彙力は当然落ちていく。さらに、指示を出し
面倒なこと(時間がかかりそうな作業)はメキシコ従業員に任してしまっており
メ−ルを送るのも簡易な文章で伝えるため
書くという作業を怠っていたことを改めて恥じた。

さあ、あと2週間しかないがなんとか残りの時間で
出来る限り過去問を解き試験に備えたい。




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2016年06月13日

初。

ある出来事があってから、控えていること
それは、風○店へ通うこと。キャバクラ、スナックなどHなところじゃないところも含めての話。
控えていることすら意識になく
それがもう当たり前の状態であった。

しかし、彼女なしの僕にとって
その必要性は頭では感じなくも
身体が欲している。 

日本だと様々な媒体を
利用し簡単に情報を集めることが出来た(様々な風○店へいくことにハマっていた時期)。
コンビニに行けばそこには風○雑誌が
多々あり、キャバクラの情報、おんなの子の質、ヌキ風○店の情報など簡単に
手に入れることが出来た。

しかし、ここメキシコでは
彼女が居た時期があり
情報を調べること
すらしてこなかった。
する必要もなかった。
怖いお兄さん達との話し合いの
経験がある僕でも、何か揉めたら
こっちは銃で打たれるだろうっと
いう恐怖感もあり
全く手をつけずにいた。

それが、ヒョンなことから
風○店情報を掲載している
サイトを聞き、早速、興味本位で
チェックしてみた。

そこには、個人で隠れて
行っているところもあり
サービス内容と本人と
思われる写真が掲載されていた。
ホントのマッサージ資格を持った方も
いるため、しっかりとサービス内容を
確認しないとただ単にマッサージを
受けて終わりというのがあるだろう。(それはそれで良いが)

やはり、僕らしいというか
危ないんじゃねえ?っと
疑っている頭は正常に機能していたが
挑戦、体験してみたいという
感情もムスコを含めて沸き起こり
自宅近くでサービスを提供してくれる
人を探してみた。 この時点で
欲求が理性を超えた。
もうこうなったら、サイト内を
チェックしサービス内容を
詳細にチェックする目は
以前の僕のあだ名、「エロ目」であったであろう。 
そして、興奮していても
チキンである僕は何と言っていいのか
分からないため電話での対応を避けたいと
思っていた。
そのため、Whatsuppでのコンタクトを許可している女性だけにターゲットにし
探し、そして見つけた。

彼女から提示された場所が問題であった。
それは、オブレロ地区。 駅からすぐ近くであるがあまり良い地区でないため
もうすでに夜であったため
今すぐに行くっていうのは気が引けた。
翌日行く事を伝え、その場でのやりとりは
終わった。

翌日、朝11時に指定された場所へ。
驚いた事にそこは、普通のオフィスビル。
そこで連絡し到着したことを告げると
オフィスビルから出てきた女性は
掲載されていた顔写真と一緒だった。
それは僕に安堵感をもたらした。

しかし、若干化粧の濃いひとやなあと
思いながら年齢を計算してみた
恐らく、30代後半やろうなと
通された場所は、風○店によくある
個室が多々あるような所で
平日は書斎として使われているらしい。

3畳ほどのこじんまりとした部屋に
簡易ベットがおかれていた。
書斎や事務室として
使われている部屋が同じフロアに
他に多々ある中、こんなサービスを
しているなんて「凄い」を通り越して
「怖っ」っと思ったほど。

音楽をかけアロマの匂いが心地良く
僕を迎えてくれるが、初めてということ
もあって緊張で「先にサービス料を頂いて宜しいですか?」っという問いに
「No!」と答えてしまい彼女を驚してしまった。

服を全部脱いでベットにうつ伏せの状態に
と言われオイルを塗られマッサージが始まる。 軽いが結構気持ちの良いマッサージに気持ちが安らぐ。
しかし、裸体になった彼女の姿を見て
ガックリ!! めっさデブやん! めっさ大きな波を打った3段腹!!!

仰向けになりムスコをソフトタッチで
攻めてくると僕のブルーな気持ちとは
裏腹にグングン起き上がりピシャの塔ばり
傾いた状態をキープしていた。

それからは、あっという間に発液。
さすが、瑞穂のスピードスターと
呼ばれるだけある僕。

ただ、行為のあとのこの虚しさは
何やろうなあ?? 
疲れ果てたムスコが気持ちよさそうに
眠っている姿とは対照的に僕の気持ちは
凹む。 





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2016年06月05日

基準

アメリカ大統領オバマ氏が広島を訪問。
当初予定していた時間よりも
長いスピーチを行った。
核兵器を使用したことに対して
具体的な謝罪はなかったものの
非常に気持ちのこもったスピーチであったと個人的に感じた。ある種のパフォーマンスと
捉えられがちの被災者達への抱擁も
肯定的に受け取られた。

しかし、僕個人だけでなく
僕らの世代は戦争を知らない世代であり
歴史の勉強も日本近代史は時間の関係上
かなりの部分が省かれており
部分的にしか知らない。
だからこそ、今回の訪問は何を意味するのか?っと考える。
報道を見る限り肯定的にマスコミにも
捉えられ国民へと伝わる。
しかし、先ほど言ったように
今回の劇的な訪問を判断できるだけの
判断基準を持っていない。
インターネットの発達により
情報はあまりあるほど
しかし、どのような基準で
探すかも自分で勉強するしかなく
その基準によっては見方が大きく変わる。

2つの基準が出来る。

未来を見ながら過去を見る、振り返る。
過去を見ながら未来を作る。
僕ら世代は多分前者ではないだろうか?
未来にフォーカスしながら過去をみる。
この観点からでは、未来はアメリカだけでなくアジア各国との関係も密に協力し
相互恩恵の関係性を保ち進んでいく。
この訪問はそのための出発点として見方が
強い。

後者は過去にフォーカスし
過去の償いや行為の有無を
確認したうえで未来を構築していく。
事実認識の強要と償いを強調するため
過去への精算、着地点としての
見方が強い。

戦争や被害に合っていない
世代にとっては、はっきり言えば
他人事である。それは僕も一緒である。
だからこそ、僕達は勉強しなくては
いけないのだろう。




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2016年05月23日

やらかした

「やらかした!!」

この言葉に尽きる。

毎週金曜日に責任者として研修を行うようになり
約2か月経った。 それぞれが話した内容は
いずれも従業員に必要なポイントであった。
「改善」「態度」「習慣」などそれぞれに
伝えられれば従業員の態度、モラルも変わるだろうっと
思ったもののやはりそこは人間。
その必要性を感じなければ
話した内容は上の空。左から右に抜ける意味のないものへと変貌する。

今回、その点も踏まえたうえで僕が臨んだのだが、
拙い表現力、説明力、語彙不足によって
伝えたい事の半分にも満たない結果となってしまった。
原因は明らかに準備不足であった。

先ずは、今後10年、15年で起きるだろう自動化の波に対し
危機感を持ってもらいたく説明を行った。
これは上司からも伝わらないのでは?と危惧され注意された部分でもあった。
案の定、ここでの反応はイマイチ。
特に金銭的余裕のない従業員であるため
目先の事に集中しお金を得ることしか考えれないため
今後起きることを予測するもしくは考えて対応することは出来ないのが要因である。

しかし、家庭環境も含めそういう要因がある中で
どのように対応すべきなのかと説いたところで
反応が薄いのは当たり前。 
vision とmisionを書いてもらったり
普段、時間をどのように使っているのかを
記入してもらい無駄な時間の使い方をしていないのか
自分の目で確認することを行ったが
やはり、目先にフォーカスがあたっている生活が
垣間見れた。

正直、誰に対し何をどのように伝えるのかという
根本的なところからしっかりと考えなければならなかった。
しかし、誰が参加するのか何人参加するのか
分からなくそういった面も説明不足、下手へと繋がったともいえる。

しかし、書いてもらったアンケートに参加してくれた方々に
自分の意見を書き込んで少しでも役立つものへと
変化できたらなと思っている。 
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2016年05月16日

とりかご

『鳥かご』

サッカーの練習で行うトレーニングの
ひとつに3対1,4対1のボールを使った
トレーニング。
その様子を連想させたベッキーと
TV関係者との関係性。
鬼となったベッキーは、必死になって
ボールを追っている。
それは、TV関係者が持つ不信感(ボール)を
断ち切ろうと懸命になっている。
イナされ、かわされ、ボールは関係者間を
グルグル回る。 

ベッキーは、一般社会からかけ離れた世界でしか
生きていけないのだろうか?
どっぷりハマって抜け出せないのだろうか? 




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2016年05月09日

腑におちる

毎週金曜日の仕事後に
各倉庫責任者が持ち回りに
仕事や日常生活に役立つことを
プレゼンテーションすることを
行っている。 主に仕事に関しての
プレゼンテーションが今のところ多いのだが、
ただ、そのプレゼンの際に
僕ら管理者もプレゼンするようにと
彼らから促されやることに。
何を伝えることが彼らのためになる
のかを考えつつ、先日日本に帰国した際
購入した本を手にとってみた。

その中にあった「7つの習慣」を手にとり
読み始めた。 読み進むにつれ
役に立つだろうが、本の中の情報の
どの部分に反応するのだろう?っと考えながら
読む。 しかし、変化をしてもらいたい気持ちはあるが
彼らがその必要性を感じなければ
何も意味がないものへと 
要は、何を彼らにどのように伝えるまえに
必要になるような状態を共通認識させることを
しないいけない。

しかし、読み進めるうちに
とても気になるフレーズに
目が止まる。 
それは、下記のフレーズ

愛(LOVE)は動詞なのです。
愛という気持ちは愛するという行動から
得られる果実であり価値です。


僕みたいな結婚不適合者にも
物凄くストンっと腑に落ちた言葉で
見返りを期待せず、彼女に思いやりをもって
奉仕し理解し助けるなどの行動をすること
から得られる価値が「愛」なんだと。

そんな行動努力を継続的にしてこなく
やっても最初の3か月ぐらいでしかなかった。
やはり、小さな事の思いやりや行動の
積み重ねが男女間の価値となり「愛」という
カタチとなるんだと。
30代終わりにやっと理解する僕は
やはり結婚不適合者なんだろう。
っというのも、その行動の中に
甘い言葉をかけることを外したいという
気持ちがあり、妙にそこに拘っている自分がいるから
特にここメキシコではこの「甘い言葉」が
かなり必要であることを最近知った。(知らざるを得なかった)



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2016年04月24日

ジャイアント.ババ

突然、銃をアタマと胸に突きつけられたときから試合は始まった。
背後から引き金をいつひかれてもおかしくない状態で不本意であるが強引にもリングへと向かわされた。

銃で威嚇された身体は異常を示しており
今まで様々な相手を強打し威嚇の武器にしてきた右手は異常なまでに膨れあがっていた。
針でちょっと刺した程度で中から色の違った液体が出てくるのではないかと思うほどで
緊張のせいか震えが止まらず手そのものの機能は低下していった。
さらに、温度を感じ取る皮膚感覚は
麻痺し体温を低く感じさせた。

ルパン三世並の太く濃いもみあげの持ち主
緊張が手伝い体重が落ち引き締まった体付きへと変貌した。相手とのがっぷりよつの組み合いにも有利に戦うため反則であるがオイルがたっぷり塗られた出で立ちは往年のジャイアント馬場と似ており長身で筋肉質な身体。


彼のリングネームは、"ジャイアント.ババ"

ジャイアント馬場になぞってつけられたリングネーム。しかし、彼と違っているのは、3つ。

1.パンツが黒や赤だったジャイアント馬場とは違い、白いブリーフに白いステテコ。

2.プロレス団体から提示されたデカく輝いてるベルトではなく、ババ入りのビニール袋が付いたベルト。

3.登場曲が、"燃えよドラゴンズ"

24,5度に設定されたリングに今、上がる。

それをセコンドとして見つめる
小回りと気遣いが非常に利く
気性が激しい短足なオウム。

目に見えない相手にどう戦うか
人生引退をかけた試合
乞うご期待

相手を威嚇するかのように
シャーベットやアイスクリームを
出す機会のようにジワーっと
かつ、プス〜っという音を醸しながら
出てくるババ。 

今、試合開始のゴングが会場に鳴り響く。









posted by コビータ at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

日本を離れ10年という歳月が過ぎようとしている。

10年前の僕は、鬱で悩んでおり病んでいた。
それは、今でももしかしたら変わっていないのかもしれない。
整理のされていない光があまり入らない小さな部屋に
ひとりでいることが唯一の安らぎを感じる瞬間であった。
それからというもの、普段から人見知りであり
遠慮深い性格が人と接することをより遠のかせた。

30歳を前にして将来の事、両親の事で迷い悩み続け
散々ボールを蹴り続けてきた両足は蹴り疲れたように
重く棒と化していた。時代や世間という
大きな流れに沿って沈んだり浮かんだりしながら
意志とは無関係に歩みを進めていこうとする。
流れに反して足に意志を込めて歩もうとすると
ドンドンと深みへハマっていき行き先(出口)が分からなく
なっていった。

答え(出口)の見えない中、すべてを忘れ目を瞑り夢中で大きく
前へ蹴りだした足が向いた先は、メキシコであった。それが10年前。
 
振り返ってみるとあの一歩がなければどうなっていたのだろうか?
と思うと恐怖で鳥肌が立ってしまう。

しかし、一歩進んだ先に見えた世界は、
普段の生活とは大きく異なって映り
次の一歩を踏み出す気持ちや勇気を
圧し潰すかのようにプレッシャーをかけてきた。
「言葉」「習慣」「考え方」「経験のなさ」「コンプレックス」が
自分の周囲を囲み目に見えないプレッシャーをかけ
一歩を踏み出す勇気さえ踏みにじってきた。 

学歴も社会人経験もない自分が追い詰められた結果
唯一とった行動がシガミ付くこと。会社にも、メキシコ社会にも。
崖っぷちにいるような感覚で爪を立てるように
もがきながら這い上がっていくこと。それは、今でも続いている。


やみくもに振り出したあの一歩。

それは、小さな一歩であり
大きな一歩へのほんの小さな一歩でもある。
そこには、自分らしく生きることの大事さや
強く生き抜くことを意味として含んでおり
自分の人生と自分自身を変える可能性を持つ
チカラが存在するもの。

その意味を噛みしめながら、さらにもう一歩
前へと歩みを進めていく今後の10年としていきたい。
posted by コビータ at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

黙祷を

"私たちは、パリで犠牲になった人たちに、30秒黙祷した。
しかし、亡くなったシリア人のために、1秒たりとも黙祷を捧げる人がいただろうか。"

3月29日に2018年ロシアワールドカップ出場をかけて戦うサッカー日本代表。

埼玉スタジアムで行われるその試合の対戦相手は、「シリア」である。

冒頭のコメントは、2015年11月17日 
ファジル・イブラヒム(シリア代表監督)のシンガポール戦の後のコメントである。

的を得るような強烈な言葉である。このコメントから読み取れることは

先進主要国である国だけが称賛や喝采を浴び優遇され、
発展途上国がそのような待遇を得ることはほとんどないこと。
人々にとって世間から忘れられることと同時にマスコミに取り扱ってもらえず
状況を発信することすらできないことが一番の屈辱である。

パリ同時多発テロの数日後にウエンブリースタジアムで行われた
国際親善試合フランス対イングランド戦では、黙とうを行い
被害者や被害者家族に対し弔意を表した。
さらに、UEFA(欧州サッカー連盟)はすべての公式戦において
喪章の付けることと黙とうを行うよう指示した。

しかし、どれだけシリアへの空爆や多数の死傷者が出ているという
ニュースを目の前にしても犠牲者に対し弔意を表すことがなく今日まで来ている(機会がなかった)。

サッカー現日本代表監督のハリルホジッチ氏も「ボスニアヘルツェゴビナ紛争」
に巻き込まれ家族とともに非常に苦しみ抜いた経験を持つものとして
両チームともワールドカップ出場を目指した真剣勝負の場であるものの、
今なお増え続けている(増え続けているだろう)犠牲者に対し「黙祷」を
試合前に行うことを日本サッカー協会に要請してもらいたい。

スタメン選手だけでなくベンチスタートの選手、スタッフ、監督全員が
センターサークルを囲み1分間の「黙祷」を行うことを願い次回の戦いに期待したい。
posted by コビータ at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

評価軸

ショ−ンKについて様々なメディアで報道されている。
非常に興味深いなあっと感じており、その理由が2点ある。
 
 1.メディア側が出演者の経歴を確認していない点。
 2.容姿や経歴が良ければその人が言うことを鵜呑みもしくは聞き入る点。

1に関してメディア側は、出演者を出演依頼する際に
その人の経歴を含むバックグラウンドを考慮して
人を選択しているはず。さらに所属事務所などは
経歴を詳細に調べない。もしくは仕事を取れるように
多少なりとも盛っているのか? 今となっては
そのプロセスも分からない。

公の場に出演する方は、虚偽の発言や行為があった場合は
非常にバッシングの対象となり活動自粛へと追い込まれることが
多い。しかし、虚偽は経歴であり発言や活動行為が虚偽でなかった場合は
どうなるのだろうか?
今回、彼は活動を自粛することを決断した模様だが
そのように偽りの姿を継続して演じさせてきたのは
実は、私たち視聴者ではないだろうか?
 
2に関して僕たちの評価軸が容姿や経歴であって
彼のコメンテーターとしての発言は
そこには含まれていなかったんだと。
様々なメディアで後出しで彼について"実は怪しいと思っていた"
"あんまり発言しない"とかコメントされる方がいるけど
人それぞれ大なり小なりで良くみられようと偽証することは
芸能の世界では当たり前であろう。
 それは、俳優、藤原竜也が「サッカーの選抜に入っていた」という
偽証を自白したように今このタイミングで謝罪すれば被害は小さく済むと
思い自白した模様。非常にリスク管理が出来ていると言える一方で
汚いやり方やなあっと感じる。
 結果として、テレビに出演する、仕事を貰うために
利用した経歴偽証は手段としては間違っているものの
何を大事にし何を伝えるのかという評価軸を持っていれば
経歴がどうであれ問題ないように感じるが
そこに説得力が増すかどうかはその人の人となりが
重要になってくるはず。


政治家や公務員のような方がトンチンカンなことを
発言し国民に不利益を与えても謝罪さえすれば
継続して仕事を出来る社会であるのに対し
彼のような方は活動自粛と追い込まれる。
弱肉強食の世界である。 
そして、僕たち一般人は何を見て何を評価軸にして
判断するのか問われているように思える。
政治家や公務員は僕たちが支払った税金で生活を
成り立たせている。その一方で彼らが発言するトンチンカンな
事で不愉快を被ることがある。(それは高学歴であれ経験ある方であれ)

今回の偽証自体は良くはないが
評価軸をどこのポイントに置いて
見るかもう一度考えてもらいたい。




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2016年03月14日

あの時から

震災から5年が経った今、被災した方々を
フォーカスした番組が放送されたりしている。
しかし、それはある断面でしかなく
本音の部分は良くも悪くも見えづらく
継続的にドキュメンタリーしているのは
ほんの僅かであろう。

僕が足を運んだ女川町は、他の地域と比較しても
復興が進んでいるらしく震災から3年経った時に
足を運んだ際、既に更地へと変貌しており
ダンプカーが土砂を砂ホコリを撒き散らしながら
運んでいたのを思い出す。

偶然、数名の被災者の方と話す機会があり
「震災から3年経ちますけど、どうですか?」
っと尋ねたところ、思いがけない言葉が帰ってきた。
「被災した地域によって復興速度の違いがあること、
完成した住宅にどの家族が優先的に入居できるのか
被災した方々の中にも格差が出てくるだろう」
この言葉は、非常に鮮明に覚えていることである。
目に見えない不安や不満が、今後目に見える形で
表れてくることを示唆しており
あれから2年が経つ今、街は良くも悪くも変貌して
いくが彼らの内面はどのように変化しているのか
非常に興味がある。

このようなことをフェイスブックに掲載したところ
女川出身の写真家、鈴木真弓さんから
「女川は街の復興を優先的に進めており
人口流出を防ぐため魅力的な街作りを
目指して活動している」とコメントがあった。

それと同時に人々の心の変化はどうなっているのか
興味がある。 彼女のように継続的に彼らの生活ぶりを
追っている方はどれぐらいいるのだろう?

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2016年03月09日

それは突然に

それは、突然やってくるのだと

僕たちは、生まれてから「死」に向かって
人生を歩いている事を改めて思い知らされた。
僕にとっては、馴染みの薄い言葉「ガン」(誰にとっても馴染みの薄い言葉であってほしい)
を耳にしてしまった。 
「転移性腫瘍」と「肺ガン」との併発
そして放射線治療。
ドラマや映画などで耳にしたり目にしたりしたけど
まさか、それが自分の父親から発見されるとは?

年齢的にも生活習慣的にも病気になるリスクがあると
分かっていたものの まさか、「ガン」という重く体にズシリと
響く言葉を聞かされるとドン底へ突き落される感覚に陥る。




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2016年02月29日

答えはない

突然ではないものの、3月が始まろうとしている。

そして、この時期決まって放送されるのが
東日本大震災についてのこと。
あの日からもうすぐ5年が経とうとしている。
ボクら震災を免れた人達から見た東北は
「同情」という眼鏡をかけて映し出した姿であって
「可哀そう」というだけの色眼鏡で見ているようなもので
はないかと感じる。さらに、年々眼鏡のグラデュエーションは
厚くなっていき
不幸の中に起こった出来事から
何かしらハッピーエンドを探そうとする
もしくは感動するような番組構成や記事になって
いるのではないか? もしくはそうなっていくのではないか?

さらに言えば、そのような記事や番組構成をどこかで
望んでいるのかもしれない。

しかし、被災した方に言わせれば語弊があるが「同情するなら金をくれ」であろう。

同情と共感についての説明したわかりやすい記事がlifehackerに掲載されていたので
みてもらいたい。

「共感」(Empathy)と「同情」(Sympathy)は似ているようで、大きく異なります。どちらも悪い意味ではないですが、共感が誰かと感情面でつながることを意味するのに対して、同情というのは一般的に、不幸な状況においても「不幸中の幸い」を見つけようとすることです。

共感する、という行為で大切なのは、相手を評価しないことであり、当人にとってはあまり意味の無い「不幸中の幸い」を探そうとせずに、その代わりに相手の気持ちを心から理解しようとすることです。
<参照記事> lifehakerより「共感」と「同情」は似て非なるもの 
       http://www.lifehacker.jp/2013/12/131227empathy.html


同情は不幸中の幸いを見つけようとすることであり
いわゆるこちら側の意図によるもの
共感は、相手の気持ちを心から理解しようとすることで
相手の気持ちを汲んでの想いや行動である。

時間の経過とともに被災者や被災地域は復興に向けて進んでいる(はず)が
一向に進んでいない地域も少なからずある。
しかし、残念ながらボクら免災者はそういうことに対し
共有することも共感することも出来ずにいる。

何が出来るんだろう? 憂鬱である。


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2016年02月22日

ふと

僕たちは盲目的に様々な指示や習慣(価値観)を
受け入れてきており、家庭や学校生活を送ってきている。
それは、あたかも当たり前のようにルール化してきており
それに従っているという感覚さえも持っていないのではないだろうか?
当然、疑うこともせず日々過ごしている。

社会に属する者としてルールや規則を守ることを第一に学校社会を過ごし
個人が社会生活に適用できるよう学びの場と化している。
特に上下関係の厳しい縦社会である日本において
目上の方を敬うことを非常に大事なルールとして持っており、
例え理不尽なことであってもそれに従うよう強要されることも多々ある。

僕個人として学校は「我慢」を学ぶ場と化し
ルールや規則にがんじがらめになりながら
生活を続けないといけない苦しさを味わう場でもあった。





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2016年02月21日

老い

パスポートを紛失(見当たらない)してから約3−4か月が経とうとしている。
しかしながら、申請するまでには至っていない。 
一応、書類など申請に必要な書類などは準備してはいるものの
面倒臭いと感じ後回しにしてしまっているのが現状である。

昨日、申請に必要な写真を撮ってもらいに
いつも降りる会社近くの地下鉄の駅から1つ先にある駅へ
行った。そこにはメキシコで働きはじめてから
ビザの更新のために写真を撮ってくれるほんと小さなお店が
ある。 
今回も同様に接客にあたった人当たりの優しいおばさんが
カメラを構えシャッターを切ってくれた。
しかし、5分ぐらい待って渡された写真を見てガックリ。
自分の老けさに驚く。 
目の下や口元の皺にビックリ。ひどく鮮明に自分の顔の
縦横無尽に駆け巡っていた。 
毎年ここでビザ申請のための写真を撮っていたので
そのたびに自分の顔が老いていく感覚を持っていたものの
今回は非常に酷く自分の顔じゃないっと思え
朝、顔を洗ったときにはこんな顔していたか?っと
自分で自分の顔を見る眼も老いてきたのかと感じるほど。

ただ、全体的に疲れているような顔になってきており
仕事中に撮影したからなのかどうかはわからないが
夜見る自分の顔と比較にならないほど変わっていた。

なんとか強引にでも若返りをしないとっと思い
伸びていた髪を切りに行き見た目を少し変えた
洗顔を全然していなかったこともあり
スーパーで洗顔クリームを購入しに行くも
見当たらない。 
顔だけではなく体も変えていかないと
と思い早速ジムへと足を運ぶ。
40代間近やから心身ともに良い状態で
40代を迎えたい。 
頑張ろう。

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2016年02月14日

属する

「無所属と闇」

人間は、何処かに属しながら生きている。
それは、案外気付いているようで気付いていない
ようなあまり意識したことがないこと。
「社会」「家族」「学校」「会社」「恋人」「チーム」などに属している。 
人は、生まれながら必ず何処かに属する
まずは、「家族」。ここから様々なグループに
属しながら個人として様々な経験と価値観を得ながら
成長していく。

しかし、無所属となると人は、どうなるのだろうか?
いわゆる「家族」、「チーム」,「会社」などから
無所属となったひとの行き先は何処へ?

今回、清原氏の薬物使用と所持による逮捕報道を
見て所属先を失う先は闇なのかっと考えてしまった。
乙武氏がスポーツライターだった際に清原氏に対し「非常に繊細な方でそれを見せないように
大きな態度や言動を行う方」というような印象を受けた
とコメントしたのを見て 本音を言いあえる仲間の中に
属せなかったのかな?っと感じてしまった。

「家族」「子供」「野球界」「芸能界」からも
属することを断られ、すがるものは闇の世界だったのか?
闇の世界に属することは、「社会」にも属さないことを
分からなかったのか疑問に思う。それだけ、無所属の先にある自分に不安であり、それを安らげてくれるのが
「麻薬」であったのか?
しかし、闇に属することなんて出来ない。
その世界は、弱肉強食であり弱いものから
とことん採取する世界であり
そこでこそ、現役時代にみせた豪快なスウィングを
していかないと生きていけないのに
ボクシングでいうヒット&アウェイによって
蝕まれていく。もうそこには現役時代の面影は見えないほどボロボロな身体へと変貌した姿しかない。

スポーツ選手のセカンドキャリアの必要性と叫ばれはじめて既に月日が経つが未だしっかりとした制度が作られていない。所属先をなくした人が属する貯まり場をつくり
不安なを取り残し前向きに次の所属先へと移行出来る様に
していくことが非常に大事である。しかし、一向に進まないのが一般的に閉鎖的な野球界、相撲界ではないか?
今回の逮捕によって両各界で一個人の問題とせず、セカンドキャリアについて真剣に考えてほしいと思う。

清原氏には皮肉であるが、薬物使用によって
刑務所へ行くこととなり「無所属」から「ムショ属」と
なり属するグループが出来た。




posted by コビータ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

木の根幹から

屋外を見ながらスターバックスコーヒーを
飲んでいる。ふと、今年の出来事を
目の前にある木々を見つつ黄昏ながら
振り返る。
大きな木々の先にある緑、黄緑の葉が
気持ち良さそうに吹いてくる風に
身を委ねクネクネしながら上から下へと
落ちてくる。
その様子を観ていて、今年の自分に
似ているなあっと気づく。

大きな木々の根幹は意志や意思を表し
枝は、その人の可能性を表し
花は、夢や目標を表している。
まさに、「人は木のようである。」

しかし、流れという名の「風」は
芯の弱い木々を巻き込み遠くへと運ぶ。
さらに、誘惑という名の虫が木の根幹である
「意志や意思」を食い尽くす。
それに伴って、「意志や意思」の上にある
目標や夢は崩れ落ちていく意志では
支えきれずガラクタのように捨てられていく。

まさに、2015年は崩れ落ちていった自分の意志であった。

スペイン語1日一記事、DELE受験せず
オンライン英会話を始めたものの復習せず
体重を減らすために始めたジム通いも辞めた
意志に一貫性がなくどれも中途半端。
無為に時間を過ごすことが多く
何も得るものがなかった年であった。
いわゆる負け犬である。

まずは、掲げる目標を好きで継続的に
実行できるか?っというポイントに
重点を置き楽しめるように工夫し
考えも変え実行していく。
さらに、時間を無駄にしてしまわないように
時間割をきっちり付け、それに沿って
行動を起こしていく。
posted by コビータ at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする