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2016年02月29日

答えはない

突然ではないものの、3月が始まろうとしている。

そして、この時期決まって放送されるのが
東日本大震災についてのこと。
あの日からもうすぐ5年が経とうとしている。
ボクら震災を免れた人達から見た東北は
「同情」という眼鏡をかけて映し出した姿であって
「可哀そう」というだけの色眼鏡で見ているようなもので
はないかと感じる。さらに、年々眼鏡のグラデュエーションは
厚くなっていき
不幸の中に起こった出来事から
何かしらハッピーエンドを探そうとする
もしくは感動するような番組構成や記事になって
いるのではないか? もしくはそうなっていくのではないか?

さらに言えば、そのような記事や番組構成をどこかで
望んでいるのかもしれない。

しかし、被災した方に言わせれば語弊があるが「同情するなら金をくれ」であろう。

同情と共感についての説明したわかりやすい記事がlifehackerに掲載されていたので
みてもらいたい。

「共感」(Empathy)と「同情」(Sympathy)は似ているようで、大きく異なります。どちらも悪い意味ではないですが、共感が誰かと感情面でつながることを意味するのに対して、同情というのは一般的に、不幸な状況においても「不幸中の幸い」を見つけようとすることです。

共感する、という行為で大切なのは、相手を評価しないことであり、当人にとってはあまり意味の無い「不幸中の幸い」を探そうとせずに、その代わりに相手の気持ちを心から理解しようとすることです。
<参照記事> lifehakerより「共感」と「同情」は似て非なるもの 
       http://www.lifehacker.jp/2013/12/131227empathy.html


同情は不幸中の幸いを見つけようとすることであり
いわゆるこちら側の意図によるもの
共感は、相手の気持ちを心から理解しようとすることで
相手の気持ちを汲んでの想いや行動である。

時間の経過とともに被災者や被災地域は復興に向けて進んでいる(はず)が
一向に進んでいない地域も少なからずある。
しかし、残念ながらボクら免災者はそういうことに対し
共有することも共感することも出来ずにいる。

何が出来るんだろう? 憂鬱である。


posted by コビータ at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

ふと

僕たちは盲目的に様々な指示や習慣(価値観)を
受け入れてきており、家庭や学校生活を送ってきている。
それは、あたかも当たり前のようにルール化してきており
それに従っているという感覚さえも持っていないのではないだろうか?
当然、疑うこともせず日々過ごしている。

社会に属する者としてルールや規則を守ることを第一に学校社会を過ごし
個人が社会生活に適用できるよう学びの場と化している。
特に上下関係の厳しい縦社会である日本において
目上の方を敬うことを非常に大事なルールとして持っており、
例え理不尽なことであってもそれに従うよう強要されることも多々ある。

僕個人として学校は「我慢」を学ぶ場と化し
ルールや規則にがんじがらめになりながら
生活を続けないといけない苦しさを味わう場でもあった。





posted by コビータ at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

老い

パスポートを紛失(見当たらない)してから約3−4か月が経とうとしている。
しかしながら、申請するまでには至っていない。 
一応、書類など申請に必要な書類などは準備してはいるものの
面倒臭いと感じ後回しにしてしまっているのが現状である。

昨日、申請に必要な写真を撮ってもらいに
いつも降りる会社近くの地下鉄の駅から1つ先にある駅へ
行った。そこにはメキシコで働きはじめてから
ビザの更新のために写真を撮ってくれるほんと小さなお店が
ある。 
今回も同様に接客にあたった人当たりの優しいおばさんが
カメラを構えシャッターを切ってくれた。
しかし、5分ぐらい待って渡された写真を見てガックリ。
自分の老けさに驚く。 
目の下や口元の皺にビックリ。ひどく鮮明に自分の顔の
縦横無尽に駆け巡っていた。 
毎年ここでビザ申請のための写真を撮っていたので
そのたびに自分の顔が老いていく感覚を持っていたものの
今回は非常に酷く自分の顔じゃないっと思え
朝、顔を洗ったときにはこんな顔していたか?っと
自分で自分の顔を見る眼も老いてきたのかと感じるほど。

ただ、全体的に疲れているような顔になってきており
仕事中に撮影したからなのかどうかはわからないが
夜見る自分の顔と比較にならないほど変わっていた。

なんとか強引にでも若返りをしないとっと思い
伸びていた髪を切りに行き見た目を少し変えた
洗顔を全然していなかったこともあり
スーパーで洗顔クリームを購入しに行くも
見当たらない。 
顔だけではなく体も変えていかないと
と思い早速ジムへと足を運ぶ。
40代間近やから心身ともに良い状態で
40代を迎えたい。 
頑張ろう。

posted by コビータ at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

属する

「無所属と闇」

人間は、何処かに属しながら生きている。
それは、案外気付いているようで気付いていない
ようなあまり意識したことがないこと。
「社会」「家族」「学校」「会社」「恋人」「チーム」などに属している。 
人は、生まれながら必ず何処かに属する
まずは、「家族」。ここから様々なグループに
属しながら個人として様々な経験と価値観を得ながら
成長していく。

しかし、無所属となると人は、どうなるのだろうか?
いわゆる「家族」、「チーム」,「会社」などから
無所属となったひとの行き先は何処へ?

今回、清原氏の薬物使用と所持による逮捕報道を
見て所属先を失う先は闇なのかっと考えてしまった。
乙武氏がスポーツライターだった際に清原氏に対し「非常に繊細な方でそれを見せないように
大きな態度や言動を行う方」というような印象を受けた
とコメントしたのを見て 本音を言いあえる仲間の中に
属せなかったのかな?っと感じてしまった。

「家族」「子供」「野球界」「芸能界」からも
属することを断られ、すがるものは闇の世界だったのか?
闇の世界に属することは、「社会」にも属さないことを
分からなかったのか疑問に思う。それだけ、無所属の先にある自分に不安であり、それを安らげてくれるのが
「麻薬」であったのか?
しかし、闇に属することなんて出来ない。
その世界は、弱肉強食であり弱いものから
とことん採取する世界であり
そこでこそ、現役時代にみせた豪快なスウィングを
していかないと生きていけないのに
ボクシングでいうヒット&アウェイによって
蝕まれていく。もうそこには現役時代の面影は見えないほどボロボロな身体へと変貌した姿しかない。

スポーツ選手のセカンドキャリアの必要性と叫ばれはじめて既に月日が経つが未だしっかりとした制度が作られていない。所属先をなくした人が属する貯まり場をつくり
不安なを取り残し前向きに次の所属先へと移行出来る様に
していくことが非常に大事である。しかし、一向に進まないのが一般的に閉鎖的な野球界、相撲界ではないか?
今回の逮捕によって両各界で一個人の問題とせず、セカンドキャリアについて真剣に考えてほしいと思う。

清原氏には皮肉であるが、薬物使用によって
刑務所へ行くこととなり「無所属」から「ムショ属」と
なり属するグループが出来た。




posted by コビータ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする