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2015年09月27日

数。

数の持つ意味について考える。

あまりにも数字だけが先走りし
それに意味を上乗せする解説者や批評家たち。
そして、それを正当化しようとしている感じる。
数字を扱う者のモラルが非常に低下していると
感じるのは昨今非常に目立つ。
それは、東芝不適切会計、難民受け入れ問題などの
ニュースでわかると思う。

社会人になってからは、提出するものは
必ず、何かしら具体的な数字を入れろを
教わったが、それでも、数字をコントロールするのは
作成者であってそれが適した数であるかは
非常に判別が難しいことが多くさらに言えば
見逃してしまいがち。

数字=嘘をつかない
数字を扱う者=嘘をつく。もしくは自分の論理に適したように利用する。

巷で話題になった「数の論理」とか
難民受け入れ人数の発表に
受け入れ人数の多さ少なさを論じるのような報道など
数字に意味合いを上乗せし
その数字に意味のない正当性を増す報道に
正直嫌気をさす。
理由として、双方とも数を競いあっているのではないうえ
意味もなくその数字に正当性があるかのように
示すからである。


posted by コビータ at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

スカウタ−募集

「スカウタ−募集」

しょうもないプレ−しかできない選手が集まる日本球界。
そのつまらなさから国民からもそっぽを向かれる。
万年ベンチに座り、状況を見ては野次を飛ばし
仲間にエ−ルを送る術を身に付け解雇されずに
重宝されている。
そのため、球界ル−ルによる戦力外通告は4年ごとと決められていることもあり非常に球界の新陳代謝は図れていない。
また、スカウティングできる方がいないのが原因で
注目できる強力選手を獲得できず、
それが、さらに国民に球界に対する興味を失わさせている。

苦肉の策で新陳代謝を図るためトライアウトを導入するも
甘い査定を下され、多くのポンコツ選手が再度球界に再登板。

さらにドラフトにかかる素材がいないのが難点。
ポッと出の素材には厳しい野次が飛ぶ。
マイナンバ−610つけた新人選手は、暴言を吐き
所属先がない状態に。 

そんな中、旧態依然の球界に新しくSEALD´Sという名の
球団を作り編入しようとするが、その前に球界の壁が大きく立ち広がる。

球場は閑古鳥の鳴き声が聞こえるほど少ない。
しかし、球界のドンが大鉈を奮う。
球界のタブ−を破る挑戦に出た。
もともと海外遠征を禁止してきたル−ルだったが
ル−ル上の解釈を変え選抜チ−ムを編成し海外遠征へ
行けるようにした。これにより敵地にて外国人チ−ム
と戦うことを可能にした。

いまのところ、海外遠征もしくは親交の深いアメリカ選抜の
応援遠征するという発表はないが
海外から、特にスコアを改ざんするのが得意な中国選抜、
何かとクレ−ムを付ける韓国選抜、
そしてテポドンという長距離バッタ−を擁する北朝鮮選抜
から対戦希望が届いている。

これから、球界を盛り上げつつも
厳しい目を持ったスカウタ−が必要となる。
それが、自分たちである。
posted by コビータ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

ドローンと報道

緊急時のドローンの利用と報道ヘリの利用について
ルールと規制を定めたほうが良いと考える。

昨今、ドローンを利用した危険な行動によって
航空ルールが定められたが、使う場所と利用目的の
適材適所を検討し再度ルール見直しをしてもらいたい。

というのも、先週起きた鬼怒川決壊による被害を
報道各社が必死になりヘリからの生中継を含め
情報を流した。 
しかし、上空には自衛隊ヘリがありそのさらに上空に
報道各社のヘリが飛んでいたという。 
自衛隊ヘリにとっては、非常に救出作業の邪魔で
接触という危険にも晒される。救出どころではなくなって
しまい本末転倒である。 
さらに言えば、一回ヘリ飛ばすのにいくらかかるのか
知らないが相当な金額が動くはずである。
情報や画像を得るのに報道各社がしのぎを削るのではなく
共有という形で情報を得ることができないのかと考える。
救命第一であり、報道はその次である。
報道が救命を邪魔しているとなっては全く意味がない。
しかし、ここでドローンを活用できないかと考える。
コスト面、安全面を含めさらなる改善は必要であることは
承知するが救命第一に考えば非常に有効な手段である。
さらに、取り残されている被害者たちに言葉をかけれる
ような双方向コミュニケーションができるようになれば
勇気つけれることも可能であり、緊急災害用の一つのツールとして
利用できるのではないか?

だからこそ、適材適所を考慮したうえで
再度航空ルールを見直してほしい。

posted by コビータ at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

危惧する。

シリア難民受け入れでヨーロッパで足並みが揃わないなか
ヨーロッパを牽引するドイツのメルケル首相の判断に
国際社会が大きく反応した。
難民を年間50万人の受け入れを表明したこともあり
多くの難民がドイツを目指すようになり
EU内にて分割してヨーロッパへ振り分ける案が出ているが
非常に難しい問題となってきている。
ドイツが受け入れを表明したのもつかの間、
ハンガリーやオーストリア国境を通じて流入する難民に対して
受け入れ移設の限界に達したことにより入国制限を行うという。
それに伴いハンガリーやオーストリアに一時的に滞在することなり
双方にとっても頭の痛い対応となる。

時期尚早と言えるのだが、一番危惧するのは
イスラム教の分布範囲の広範囲化に伴う軋轢と差別。
この難民受け入れについて、当初は入国審査をせず
受け入れていたため、どのような宗教価値、宗教モラルを持った方かは
分からない。いわゆる過激派なのか穏健派なのか、シーア派なのかスンニ派なのか
同じ施設に両派が入り混じる形となることで何か起こるのではないかと危惧してしまう。
それが、今すぐに何かが起こるということではなく今後5年、10年というスパンで
住む場所がシーア派とスンニ派に分かれお互いがお互いを
理解できない構図へと変貌するのではないか? それに伴い現地に住む住民との
衝突や差別が広がっていくのではないかと個人的に心配する。

どういう結果となろうと歴史的に大きな転換期に来ているはずである
先のギリシャ問題によるEUの金融問題、そしてこの難民受け入れによる政治的問題で
EUは分断する可能性を秘めており、爆弾を抱えた形となったのではないか
難しい舵取りを強いられたことは言うまでもない。 


posted by コビータ at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

あくまで


「写真」「日本の土壌」「言葉」の3点から
今回の世論が動いた、動いている難民問題について
考えてみたい。

僕には大事にしている言葉がある。
普段から常にそれを意識しているかと言えば
それは嘘になる。しかし、要所要所ではその言葉を復唱し
意識して自分に問いかけることがある。
これは、様々な媒体で言われている言葉であり
有名な経営者が語った言葉であったりもする。そのため
決して難しい言葉ではなく誰かが日常から既に行っていることでもある。
「神は細部に宿る」BY元日本代表監督、現FC今治オーナー岡田武史氏が語った言葉
さらに、フォトジャーナリスム雑誌DAYSJAPANの表紙に小さく載っている
「たった一枚の写真が国家を動かすことがある」

特にこの言葉「たった一枚」「細部」っていう普段あまり気にしない
部分に目を向けることがその後多大な影響を個人としても社会にしても
与える可能性がある。それは、ほんと些細な事でもあり重要な事でもある。

シリアから逃れようとギリシャに向けて出発した20人乗りのボートが
強い波に遭い転覆しギリシャ沿岸に打ち付けられる亡くなった子供のたった一枚の写真が
SNSを通じ拡散し多いに影響を与えた、そして与えている。
今まで難民受け入れに難色を示し批判的であった先進国
特にヨーロッパに受け入れを認めさせるある一定の光が差し込み、
ヨーロッパ各国にその判断の是非を問い質す結果となるだろう。

http://jp.wsj.com/articles/SB12096842380967064583604581211692551093796

難民移民受け入れを国際社会から求められている日本では
今回の件についてどのように報道されているのか理解できないが
それでも現在難民受け入れを求めて滞在している外国人の方が
多数いるのは事実である。しかしながら、それについて報道されることは
あまりなく僕を含む大方の日本人は知らないはず。
国際社会からのプレッシャーを含め国際貢献という名のもとに
難民を含む移民受け入れに政府が舵をとるのか疑問に思う。
というのも、今後の日本は人口減少が著しく進むことが
分かっておりそれに伴い労働人口減少により生産性を維持、向上できないと
随分前から言われている。そのため、労働人口を増やすには
移民を受け入れ生産性維持、向上のために不足分をそれに充てなければいけない時期が
すぐそこにやってきている。しかしながら、その事については政府の動きは緩慢である
言わざるをえない。 

そもそも、移民を受け入れるだけの土壌がないこと
さらに単一民族でいたい事が理由として挙がるのではないかと
推測する。 
もともと島国であり鎖国も行ったりと異文化受け入れを積極的に取り入れてきたかと
言われれば答えはNOではないか(一部受け入れあり)

もっと言えば、それは「言葉」に凝縮されているのではないか?
普段何気なく僕たちは外国人のことを略して「外人」と言う。そとのひとがあるのであれば
「内人」うちのひともあってもおかしくはないだろう。
しかし、そのような言葉は実際にはない、もしくはないだろう。
普段気にしないが意外とグレーゾーン好きな日本人であるものの
内と外とに線を引き、2極化し「内人」は良い、好ましい
「外人」、略しであるがよそ者としての差別的とまでは言えないものの
差異がある発言に捉えることもできる。さらに戦争に負け数十年間もの間
アメリカに占領されてきたことから外国人=外人(よそもの)=独裁者
みたいな悪いイメージ、劣等感を感じる構図が無意識のうちに刷り込まれているのかもしれない。 

さらに「難民」という言葉は非常にマイナスイメージを備えており
言葉の如く扱いかいが難しい人達の集団ではないかと「言葉」から
判断してしまう。 日本人にとって「外人」であり「難民」である方を
国際社会への貢献という名のもとに人口減少問題と重ねても
英語ができないとか外国語ができないレッテルを持っている日本人にとって
無意識に彼らへの接触を拒みそのような土壌が育まれている中
彼らが本当に住めるのか?

本音では、受「難民」受け入れ難い民であり、無「難民」問題を起こさない民であって
欲しいと願っている。上記に述べた土壌の中で彼らは日本人にとって
有「難民」有難い民となっていけるのか心配である。 
posted by コビータ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする